【フアン・ロマン・リケルメ】マラドーナともメッシとも違う大型の王様【伝説サッカー選手紹介#125】

好きなサッカー選手

どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。

今回紹介する伝説のサッカー選手はアルゼンチンの【フアン・ロマン・リケルメ】です。

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生徒
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「 フアン・ロマン・リケルメってウイイレ、イーフットボール、サカつくなどのサッカーゲームでレジェンド枠でよくでてくるけどどんな選手だったの?」

「フアン・ロマン・リケルメの代表チームやクラブチームでの活躍を面白おかしく教えて!!」

と思ったあなたへお届けします。

この記事を読んでいただければ、【フアン・ロマン・リケルメ】のプレースタイルと数値化された6つの能力(オフェンス、ディフェンス、テクニック、パワー、スピード、スタミナ)を知ることが出来ます。

さらに代表チームとクラブチームそれぞれのパートに分けて活躍を知ることでファンになること間違いなしです。

選手プロフィールと下記3つを軸に語っていきますので、5分ほどお時間をください。

  1. プレースタイルと能力【パラメータ】
  2. マラドーナ2世の戦国時代に10番を背負った【代表チーム】
  3. ボカ・ジュニアーズを世界チャンピオンに導く【クラブチーム】

四の五の言わずに実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。

プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。

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選手プロフィール

  • 名前:フアン・ロマン・リケルメ
  • 国籍:アルゼンチン
  • 生年月日:1978年6月24日
  • 身長・体重:182cm75kg
  • 利き足:右足
  • ポジション:ミッドフィルダー
  • 代表歴:51試合(17得点)
  • ワールドカップ出場:2006年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』フアン・ロマン・リケルメ

クラブ出場(得点)
1996-2002ボカ・ジュニアーズ151(38)
2002-2005バルセロナ30(3)
2003-2005ビジャレアル (loan)70(27)
2005-2007 ビジャレアル49(15)
2007 ボカ・ジュニアーズ (loan)15(2)
2008-2014 ボカ・ジュニアーズ165(35)
2014アルヘンティノス18(5)
通算495(123)
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プレースタイルと能力【パラメータ】

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【フアン・ロマン・リケルメ】の能力を表すパラメータがこちらです。

  • オフェンス:18
  • ディフェンス:2
  • テクニック:20
  • パワー:18
  • スピード:12
  • スタミナ:15
  • 総合力:85

【フアン・ロマン・リケルメ】を一言でいうと守備をしない司令塔です。

ディフェンスのパラメータを見ても一目瞭然です。

WCCFというカードゲーム内でディフェンス2以下は【ロナウド】と【フィリッポ・インザーギ】の二人だけです。

どちらもエゴイスティックなフォワードです。

中盤でほとんど守備をしない選手は現代サッカーでは存在しないので、最後の選手かもしれません。

それを可能にしたのは圧倒的なテクニックです。

プラスフィジカルの強さとふところの深さを生かしたキープ力です。

時にはボールをこねくりまわしまくります。

【リケルメ】にボールを預ければ、時間が生まれるため攻撃が加速します。

守備をしないことが帳消しになるほどの利点があったからこそ、そのプレースタイルは認知されました。

プレースタイルではないですがゴールパフォーマンスも見逃せません。

両手を耳の横に当てる仕草は「トッポジージョ」と呼ばれアルゼンチンのアニメのキャラクターの真似から始まりました。

途中から、「声援が小さいからもっと俺に声援をくれ」の意味合いが加わりました。

くせのあるプレースタイルは賛否両論ありますが、代表やクラブで残した足跡を見ていきましょう。

【ロナウド】【インザーギ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。

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マラドーナ2世の戦国時代に10番を背負った【代表チーム】

若き登竜門で優勝1997年ワールドユース

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【フアン・ロマン・リケルメ】がいきのいい若手が次々とあらわれるアルゼンチンで頭角をあらわしたのが1997年のワールドユースです。

日本でいうと【中村俊輔】世代が出場した大会です。

アルゼンチンはグループリーグを2勝1敗の2位で突破します。

ベスト16の相手は1998年ワールドカップでワンダーボーイとなる【マイケル・オーウェン】がいるイングランドです。

【リケルメ】の先制点、【パブロ・アイマール】の追加点があり2対1で撃破します。

ちなみにこの大会のアルゼンチンの背番号10番は【アイマール】が背負っています。

準々決勝は永遠のライバルであるブラジル。

2対0で撃破し準決勝に進みます。

準決勝のアイルランド戦は1対0で勝利しファイナルに進みます。

決勝の相手は隣国ウルグアイ。

先制点を奪われますが【カンビアッソ】【キンターナ】がゴールを決め2対1で逆転し優勝を果たします。

【中村俊輔】【オーウェン】【アイマール】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。

生観戦した2006年ドイツワールドカップ

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【フアン・ロマン・リケルメ】はワールドユース優勝後、フル代表ではワールドカップ出場を逃し続けました。

1998年フランスワールドカップ、2002年日韓ワールドカップの2つは年齢的にも出場してもおかしくありませんでした。

ただ同世代に、マラドーナ2世と呼ばれるゲームメーカーが目白押しでした。

1998年は【オルテガ】【ベロン】【ガジャルド】。

2002年は【オルテガ】【ベロン】【ガジャルド】【アイマール】。

満を持して2006年ドイツワールドカップに【リケルメ】は出場します。

2006年のマラドーナ2世は【リケルメ】【アイマール】【サビオラ】【テベス】そして【メッシ】。

そんななか背番号を10番を背負ったのが【リケルメ】。

ここからは私の思い出とともに語っていきます。

2006年ドイツワールドカップは初めての海外旅行でした。

アヤックスファンでありオランダ代表ファンの僕はオランダのグループリーグに注目しました。

グループリーグÇの4チームのオランダ、アルゼンチン、コートジボワール、セルビア・モンテネグロはオランダとアルゼンチンの2強と言われる反面、その他の2チームもあなどれないため死のグループです。

試合的にも価格的にも手が出せる試合として決勝トーナメント1回戦を観戦することに決めました。

問題はオランダが1位でグループリーグを突破するか2位で突破するかに賭けをすることとなります。

もう一つの問題は対戦相手です。

対戦相手はグループDの4チームのポルトガル、メキシコ、アンゴラ、イランのどれかです。

こちらのグループは、ほぼほぼポルトガルとメキシコが勝ち抜きできると予想しました。

悩んで購入したチケットは「Ç組1位対D組2位」です。

オランダの試合が観戦できればベストですがアルゼンチンも好きな選手がたくさんいるため問題ありません。

ちなみに2002年日韓ワールドカップでは「アルゼンチン対スウェーデン」を仙台で生観戦している縁もあります。

そして、ドイツに出発する前日に対戦カードが決まります。

「アルゼンチン対メキシコ」。

2002年ワールドカップ観戦で着用したアルゼンチンの背番号10のユニフォーム

をキャリーバッグに放り込んだのは言うまでもありません。

なんやかんやあって試合当日。

6月24日はくしくも【リケルメ】の28回目の誕生日。

宿泊先のベルリンからライプツィヒに向かいます。

もちろん背番号10のユニフォームを握りしめて。(電車内ではまだ着ません。)

駅到着後にユニフォームを着用します。

ドイツ滞在中に日本代表は敗退し、【中田英寿】引退のショックもありましたが、

日本代表の10番が刺繍されているタオルマフラーも首に巻いて準備万端そろいました。

駅からスタジアムは道順はわかりませんが、ぞろぞろみんな歩いているので、人の流れが多いほうにくっつくように歩いていきます。

途中メキシコサポーターにタオルマフラーの交換を求められましたが、人見知りを発揮しはにかみながら断ってしまいました。

今思えば、交換しても良かったなと思います。

試合開始は21時

20時ぐらいにスタジアムにつきましたがまだ明るかったと記憶していますので、日の入り時間が日本と比べて遅いのだと思います。

観戦チケットで席番号を確認しながらいくとゴール裏のちょうどいいあんばいの席でした。

ゴール前の攻防が臨場感もみれつつ、傾斜があるため前方の人で見にくいこともなく、逆側のゴールも見てなくもない位置でした。

試合は激戦でした。

メキシコの【マルケス】が先制ゴールを決めると【クレスポ】のゴールですかさず追いつきます。

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アルゼンチンの攻撃はほとんど【リケルメ】を経由します。

逆に【リケルメ】が輝いていないとアルゼンチンも輝きません。

風向きが変わったのが交代選手の投入です。

【テベス】【アイマール】【メッシ】と後半30分から40分の間に立て続けに投入します。

【リケルメ】とあわせてマラドーナ2世が4人同時にプレーします。

18歳の【メッシ】の柔らかいボールタッチとゼロからトップスピードまでの急発進は度肝を抜かれた記憶がいまでも鮮明に蘇ります。

決着をつけたのはこの4人ではなく伏兵でした。

延長戦の前半6分でした。

【メッシ】は左サイドの【ソリン】へパス。

左サイドから右サイドの【マキシ・ロドリゲス】へのサイドチェンジのパス。

ペナルティエリアのちょうど角のあたりで胸でトラップ。

落ち際を左足でダイレクトボレー。

ゴールの隅に突き刺さるスーパーゴール。

ゴール裏のほぼ正面で見ていた僕はボールのインパクトの瞬間も見えており、まるで時が止まったようにこれは決まると思ってゴールに吸い込まれる前に立ち上がりました。

周りの観戦者も【マラドーナ】も狂喜乱舞の一撃でした。

アルゼンチンの勝利に酔いしれたため、背番号10のユニフォームは帰りの電車では着たままのりました。

酔っ払いのイングランドサポーターに囲まれブーイングを受けました。

英語もよく分からず人見知りのため、はにかみながらのりきりました。

準々決勝は地元ドイツに1対1の同点のまま延長戦でも決着がつかずPK戦にもつれこみ敗退します。

【ベロン】【テベス】【マルケス】【中田英寿】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。

メッシとともに金メダルを獲得した2008年北京オリンピック

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【フアン・ロマン・リケルメ】はオーバーエイジとして2008年北京オリンピックに参加します。

【リケルメ】が王様として若きアルゼンチンの選手を率います。

従える2つの槍(ツートップ)は【リオネル・メッシ】と【セルヒオ・アグエロ】。

【リケルメ】と同様にオーバーエイジ枠で参加した【マスチェラーノ】の存在がこの攻撃陣を影で支えます。

【リケルメ】が代表で一番輝いていたのがこの大会だったのかもしれません。

王様が二人の騎士を自由自在に操る様子はコロンビアの英雄【バルデラマ】が【アスプリージャ】と【リンコン】を操った姿に重なります。

話を戻します。

グループリーグを3連勝とあぶなげなく勝ち抜いたアルゼンチン。

準々決勝のオランダは延長戦で下し、準決勝のブラジルは3対0と圧倒します。

とどめの3点目は【リケルメ】のPKです。

決勝の決勝点は【ディ・マリア】です。

王様【リケルメ】のもと育った【ディ・マリア】がのちの王様の【メッシ】の良き相棒となったのは必然だったのかもしれません。

ちなみに日本はのちの日本代表の主力である【本田圭佑】【香川真司】【岡崎慎司】【長友佑都】【吉田麻也】がいましたが3連敗でひっそりと大会を去ります。

【バルデラマ】【アスプリージャ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。

ボカ・ジュニアーズを世界チャンピオンに導く【クラブチーム】

トヨタカップでレアルを撃破【ボカ・ジュニアーズ】

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【フアン・ロマン・リケルメ】はアルゼンチンの名門クラブの「ボカ・ジュニアーズ」でプロデビューします。

【マラドーナ】も所属した熱狂的なサポーターに支えられているクラブです。

時代は前後しますが、2003年のトヨタカップを生観戦したときに、駅からスタジアムまでのみちのりで、ひたすら太鼓をたたきながら歌を歌っていたボカサポーターを思い出します。

【リケルメ】は20歳で10番を背負い22歳の時にリベルタドーレス杯を制し南米一のクラブに導きます。

その時のヨーロッパのチャンピオンは世界一のクラブのほまれ高い「レアルマドリード」。

銀河系軍団の夜明け前ですがえげつない選手がそろっています。

【ラウル】【フィーゴ】【マケレレ】【ロベルト・カルロス】【カシージャス】などなど。

2対1で勝利し【リケルメ】は世界一のクラブの10番として名をはせます。

ちなみに2001年は【高原直泰】も「ボカ・ジュニアーズ」にジュビロ磐田からレンタル移籍していたため少しの間ですが【リケルメ】とプレーしました。

【リケルメ】は2002年もリベルタドーレス杯を制し、今度は【オリバー・カーン】率いる「バイエルン・ミュンヘン」と対決します。

【リケルメ】はキャプテンで連覇を目指しましたが、惜しくも延長で力尽き1対0で苦汁をなめます。

2002年満を持してヨーロッパに移籍します。

移籍先は「バルセロナ」。

【ラウル】【フィーゴ】【マケレレ】【ロベルト・カルロス】【カシージャス】【オリバー・カーン】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。

不遇の時を過ごした【バルセロナ】

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【フアン・ロマン・リケルメ】はヨーロッパのビッグクラブでは活躍できませんでした。

守備をしない司令塔は時代にマッチしないことと監督との相性が悪かったことが原因です。

当時のバルセロナの監督は「ルイス・ファン・ハール」です。

規律を重んじるタイプです。

僕が欧州サッカーにのめりこむきっかけとなったアヤックスの監督です。

詳しくはプロフィールをご覧ください。

いたるところに三角形を作り、選手のポジショニングと個人スキルがミックスした最高のサッカーでした。

【リケルメ】のプレースタイルは予測不能のため、監督としても計算ができませんでした。

リスク回避でサイドのウイングポジションで起用しましたが全く機能せず、1年でレンタル移籍することとなります。

復活し王様となった【ビジャレアル】

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【フアン・ロマン・リケルメ】はレンタル移籍でバルセロナからビジャレアルに移籍します。

一見、都落ちのように見えますが、この移籍は大正解でした。

最初のシーズンはリーグで8位、UEFAカップでベスト4と前年度リーグ15位のチームを躍進させます。

そして2004-05年シーズンに相棒が加入します。

セレッソ大阪にも在籍したストライカー【ディエゴ・フォルラン】。

マンチェスター・ユナイテッドでは途中交代が多く本領発揮できませんでしたが、【フォルラン】もビジャレアルで輝きを取り戻します。

【リケルメ】は【フォルラン】のゴールを数多くアシストし、【フォルラン】は25ゴールで得点王となります。

リーグ戦の順位も3位までジャンプアップします。

バルセロナ、レアルマドリードの2強の次の3位ですので価値があります。

2005-06年4シーズンはチャンピオンズリーグにビジャレアルは初参戦します。

グループリーグは2勝4分けで首位通過します。

決勝トーナメント1回戦でレンジャーズ、準々決勝でインテルを撃破し準決勝にコマをすすめます。

準決勝の相手は「アーセナル」。

【アンリ】【ベルカンプ】【セスク】などなど。

2戦合計で1対0で敗退し、決勝で古巣の「バルセロナ」と戦うことができませんでした。

【アンリ】【ベルカンプ】【セスク】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。

まとめ

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いかがでしたでしょうか。

【フアン・ロマン・リケルメ】は代表チームでもクラブチームでも王様となると力を発揮する守備をしない最後の司令塔でした。

【メッシ】がフォワードのポジションで引き継ぎます。

王様で守備をしないストライカーで力を発揮します。

パリ・サンジェルマンでは王様が3人いたので力を発揮できなかったのかもしれません。

日本代表は王様をつくらないチームを作っています。

ワールドカップ優勝するためにはどちらがいいか分かりませんが、俺がチームの中心となるという断固たる決意を持っている【久保建英】は王様の資質はありです。

レアル・ソシエダで王様となりつつあるので日本代表でも王様になることを心待ちにしています。

【フアン・ロマン・リケルメ】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。

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リケルメ とてつもなく天才だった男の神スキル!普通じゃない股抜き、ゴール&フリーキック ビジャレアル サッカーアルゼンチン代表【Legend】

次回予告

次回は【ファン・ホーイドンク】です。

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ここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。

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