どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手はウルグアイの【エンツォ・フランチェスコリ】です。
Embed from Getty Images「 エンツォ・フランチェスコリってウイイレ、イーフットボール、サカつくなどのサッカーゲームでレジェンド枠でよくでてくるけどどんな選手だったの?」
「エンツォ・フランチェスコリの代表チームやクラブチームでの活躍を面白おかしく教えて!!」
と思ったあなたへお届けします。
この記事を読んでいただければ、【エンツォ・フランチェスコリ】のプレースタイルを知ることが出来ます。
さらに代表チームとクラブチームそれぞれのパートに分けて活躍を知ることでファンになること間違いなしです。
選手プロフィールと下記3つを軸に語っていきますので、5分ほどお時間をください。
- プレースタイル
- コパ・アメリカ3度の優勝を達成した選手【代表チーム】
- エレガントなプレーがジダンやアイマールを産んだ【クラブチーム】
四の五の言わずに実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。
プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。
選手プロフィール
- 名前:エンツォ・フランチェスコリ
- 国籍:ウルグアイ
- 生年月日:1961年11月12日
- 身長・体重:180cm73kg
- 利き足:右足
- ポジション:ミッドフィルダー、フォワード
- 代表歴:73試合(15得点)
- ワールドカップ出場:1986年、1990年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』エンツォ・フランチェスコリ
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1980-1982 | モンテビデオ・ワンダラーズ | 74 | (20) |
1983-1986 | リーベル・プレート | 113 | (68) |
1986-1989 | RCパリ | 89 | (32) |
1989-1990 | オリンピック・マルセイユ | 28 | (11) |
1990-1993 | カリアリ | 98 | (17) |
1993-1994 | トリノ | 24 | (3) |
1994-1997 | リーベル・プレート | 84 | (47) |
プレースタイル
Embed from Getty Images【エンツォ・フランチェスコリ】は1961年ウルグアイに生まれました。
同世代の南米の選手には1960年生まれのアルゼンチンの【ディエゴ・マラドーナ】がいますが、【ジダン】が憧れたのは【フランチェスコリ】でした。
【ジダン】の息子のファーストネームは【エンツォ】です。
尊敬する【フランチェスコリ】のファーストネームからいただきました。
【ジダン】が憧れ、尊敬した選手【フランチェスコリ】のプレースタイルは「ファンタジスタ」です。
優雅なたたずまいと華麗なプレーはもはや芸術です。
一連のプレーがなめらかなので、トラップからドリブル、そしてパスやシュートまでに無駄がありません。
極端な話ですが、他の21人のプレーを見ないで【フランチェスコリ】のプレーのみを見てもいいぐらいです。
それゆえに「ファンタジスタ」の一人と数えられるのかもしれません。
【ジダン】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
コパ・アメリカ3度の優勝を達成した選手【代表チーム】
三者三様のコパ・アメリカ
Embed from Getty Images Embed【フランチェスコリ】の活躍で欠かせないのはコパ・アメリカです。
まずは1983年大会。
準決勝が代表デビュー戦です。
決勝では得点も決め、ゴールデンボーイとして一躍期待の若手に名を連ねます。
次に1987年大会。
【マラドーナ】を中心に1986年ワールドカップを優勝したアルゼンチンが開催国です。
ウルグアイとしてはワールドカップのベスト16でアルゼンチンに負けているため、リベンジの機会でもあります。
両チーム勝ち上がり、準決勝で「ウルグアイ対アルゼンチン」が激突します。
【フランチェスコリ】は決勝点をアシストしリベンジ成功します。
決勝も勝ち、自身二度目の南米王者となります。
ただし、前半26分に【フランチェスコリ】は退場となりピッチの上で優勝を味わうことは出来ませんでした。
そして地元ウルグアイで開催される1995年大会。
【フランチェスコリ】はキャプテンとしてチームを牽引します。
決勝は前年1994年ワールドカップ優勝国のブラジル代表です。
1対1のまま延長戦でも決着がつかずPK戦までもつれ込みます。
開催国ウルグアイの全国民のプレッシャーがかかる中、一番手が【フランチェスコリ】です。
ここで決めきるのが【フランチェスコリ】です。
闘将【ドゥンガ】や【ロベルト・カルロス】も決め返しますが、5人全員成功したウルグアイが優勝します。
【フランチェスコリ】は開催国のキャプテンとして優勝カップをかかげるとともに、最優秀選手にも選ばれます。
【ドゥンガ】【ロベルト・カルロス】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
ジェットコースターのように気持ちが上下動した1986年メキシコワールドカップ
Embed from Getty Images【エンツォ・フランチェスコリ】はウルグアイ代表として2度ワールドカップに出場しています。
まずは1986年メキシコワールドカップ。
【マラドーナ】が神となった大会です。
ウルグアイは初戦ドイツに1対1で引き分けます。
【ローター・マテウス】や【ピエール・リトバルスキー】が出場していました。
2戦目は初出場の【ミカエル・ラウドルップ】率いるデンマークです。
6対1と粉砕されますが、1点を決めたのが【フランチェスコリ】で、自身のワールドカップ初得点になります。
1敗1分けであとながない3戦目はスコットランドです。
当時の大会規定としてはグループリーグ1位と2位は無条件で突破。
3位チームは6グループ中上位4チームが突破となります。
引き分けの場合、2戦目のデンマークで6対1で大敗しているため、得失点差で脱落可能性があります。
したがってウルグアイが突破するためには、残りのグループの状況を考えると本来勝つしかありませんでした。
運が良かったのはウルグアイのグループリーグは最後の試合でした。
他の5つのグループリーグの結果を知ってから望むことが出来ます。
一方スコットランドの立場で考えると、こちらも勝てばグループリーグ3位となり、1勝2敗ながら、1点差負け2試合のため得失点差で他のグループリーグの3位を上回り、突破となります。
そんな両者の思惑がからまった状況で試合は始まりますが、いきなりウルグアイにとっても【フランチェスコリ】にとっても試練が訪れます。
開始1分で【バティスタ】が退場となり、残り時間を10人で戦うことを余儀なくされます。
スコットランドの猛攻を最後までしのぎ切り0対0でウルグアイはグループリーグ3位ながらグループリーグを突破します。
当時は引き分けが勝ち点1、勝ちが勝ち点2だったため、ハンガリーと同じ勝ち点でした。
今のルールですと勝ちは勝ち点3のため、ウルグアイはグループリーグ敗退でした。
下記が当時のグループリーグ3位チームの結果です。
組 | チーム | 勝点 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 点差 |
B | ベルギー | 3 | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 0 |
F | ポーランド | 3 | 3 | 1 | 1 | 1 | 1 | 3 | -2 |
A | ブルガリア | 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 2 | 4 | -2 |
E | ウルグアイ | 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 2 | 7 | -5 |
C | ハンガリー | 2 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 9 | -7 |
D | 北アイルランド | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 6 | -4 |
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』1986 FIFAワールドカップ
ベスト16の相手は【マラドーナ】率いるアルゼンチンです。
【マラドーナ】中心の攻撃陣の前に前半終了間際に先制点を奪われます。
後半ウルグアイも反撃に出ますが、ゴールは遠く1対0で敗退しました。
結果としては、勝ったアルゼンチンは次の試合でイングランドと戦い、歴史に残る【マラドーナ】の2ゴールが生まれます。
もし、ウルグアイがアルゼンチンに勝っていたならば歴史は違ったものになっていました。
【ローター・マテウス】【ピエール・リトバルスキー】【ミカエル・ラウドルップ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
救世主スキラッチに敗れた1990年イタリアワールドカップ
Embed from Getty Images【エンツォ・フランチェスコリ】の2度めのワールドカップもほろ苦い結果となります。
グループリーグは1勝1敗1分けで3位でなんとか突破します。
ベスト16の対戦相手は開催国イタリア。
【サルバトーレ・スキラッチ】に先制点を決められ2対0で敗退します。
【フランチェスコリ】の2度のワールドカップはいずれもベスト16で終わりました。
【サルバトーレ・スキラッチ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
エレガントなプレーがジダンやアイマールを産んだ【クラブチーム】
プリンチべ(王子様)誕生【リーベル・プレート(第一次)】
Embed from Getty Images【エンツォ・フランチェスコリ】はウルグアイの名門クラブ「ペニャロール」、アルゼンチンの名門クラブ「リーベル・プレート」のユースのトライアルを受けましたが、痩せているという理由で落選しました。
【フランチェスコリ】は「モンテビデオ・ワンダラーズ」の下部組織に所属し19歳の時にプロデビューします。
74試合で20得点を決めると、ユースのトライアルで落選した「リーベル・プレート」からオファーが届きます。
Jリーグでもジュニアユースからユースに上がる時に落選し、後に大成した選手は多いです。
【本田圭佑】が筆頭です。
ガンバ大阪ジュニアユースで【家長昭博】や【東口順昭】などとプレーし、二人は昇格しました。
【本田圭佑】はスピードやスタミナなどのフィジカルに問題があったそうです。
【フランチェスコリ】も【本田圭佑】もテクニックを理由に落選したのではなく、フィジカルを理由に落選しています。
スピードとスタミナが不足していた【フランチェスコリ】と【本田圭佑】には技術以外に大きな武器がありました。
上昇志向のメンタルとピッチで自分の技術をどのようにいかすかの思考能力です。
リーベル・プレート加入後の【フランチェスコリ】は1年目は怪我などもあり思うような結果をえることなく、リーグ戦は18試合中17位でした。
2年目に飛翔の時がきます。
29得点を決め、リーグ得点王になるとともに、リーグの最優秀選手にも選ばれました。
さらに【フランチェスコリ】1984年に南米のクラブチームで最も活躍した選手に与えられる「南米年間最優秀選手賞」を受賞しています。
3年目も得点王に輝き、悲願のリーグ優勝のタイトルも手中におさめます。
そして、南米クラブ王者決定戦とも言われるリベルタドーレス杯に出場し、見事優勝します。
南米クラブ王者の称号を置き土産に、【フランチェスコリ】はヨーロッパのクラブに移籍します。
王子様(プリンチべ)は愛されながら移籍しました。
ジダンに影響を与えた【マルセイユ】
Embed from Getty Images【エンツォ・フランチェスコリ】のヨーロッパクラブの最初の移籍先はパリのクラブです。
フランスの首都パリのクラブと言えば「パリ・サンジェルマン」ですが、【フランチェスコリ】が移籍したクラブはもう一つのクラブ「ラシン・パリ」でした。
3シーズンで89試合に出場して36得点を決め孤軍奮闘しますが、チームは二部リーグに降格してしまいます。
【フランチェスコリ】の能力に疑いはないため、チャンピオンズリーグの前身のチャンピオンズカップで優勝した「マルセイユ」に移籍します。
【ジャン・ピエール・パパン】や【アベディ・ペレ】などのフォワードのタレントがそろっている中で、【フランチェスコリ】は28試合で11得点を決めて、リーグ優勝に貢献しています。
リーグ最優秀外国人選手賞も受賞しましたが、1シーズンでマルセイユを去ることとなります。
この1シーズンでタイトル以外のものをフランス国民にもたらします。
【ジネディーヌ・ジダン】を虜にしたことです。
フランスを欧州選手権優勝に導いた【プラティニ】でもなく、アルゼンチンをワールドカップを優勝に導いた【マラドーナ】でもなく、【ジダン】のナンバーワンアイドルは【フランチェスコリ】でした。
【ジダン】はマルセイユ生まれのマルセイユっ子です。
幼少の頃から「マルセイユ」の熱狂的ファンのため、【フランチェスコリ】のプレーもガッツリ見て、惚れ込んだのだと思います。
当然好きな選手を模倣しまくったと思います。
吸い付くようなトラップからドリブルまでのなめらかな一連の流れはどちらも甲乙つけがたくうっとりします。
言うなれば【ジダン】を作ったのが【フランチェスコリ】です。
【フランチェスコリ】がマルセイユに来なければ【ジダン】は違ったタイプの選手になり、フランスをワールドカップ制覇に導くことはなかったのかもしれません。
アルゼンチンの有望株に影響を与えた【リーベル・プレート(第二次)】
Embed from Getty Images【エンツォ・フランチェスコリ】はマルセイユからイタリアの「カリアリ」「トリノ」を経て、古巣の「リーベル・プレート」に戻ります。
実はこの間にJリーグの「横浜マリノス」に移籍する可能性がありましたが破談となりました。
もし横浜マリノスに移籍されていれば、第二の【ジダン】が生まれていたかもしれません。
横浜ジュニアユースに所属していた【中村俊輔】が【フランチェスコリ】を間近に見て、成長した世界線も見てみたかったです。
【中村俊輔】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
【フランチェスコリ】はリーベル・プレート復帰後に、期待の若手とプレーします。
【オルテガ】【ガジャルド】【サラス】【アイマール】【クレスポ】【アルメイダ】など枚挙にいとまがありません。
在籍3年半で4度のリーグ優勝と2度の得点王で格の違いを見せつけます。
1995年には2度目の南米年間最優秀選手賞を受賞します。
1996年にリベルタドーレス杯で優勝するとトヨタカップで来日します。
僕が【フランチェスコリ】のプレーを見たのはこのときだったと記憶しています。
「アヤックス」を倒した「ユベントス」が相手でそのユベントスには【ジダン】がいました。
【ジダン】が憧れの【フランチェスコリ】と対戦します。
【ジダン】が中盤で君臨し、若きファンタジスタ【デル・ピエロ】が決勝点を決めユベントスが勝利します。
ちなみに、この試合でピッチに立った【ジダン】はフランス、【デル・ピエロ】はイタリア、【オルテガ】はアルゼンチンで背番号10を背負って、1998年フランスワールドカップに出場します。
もひとつちなみに、ウルグアイの若手【アルバロ・レコバ】の代表デビュー戦は途中出場でしたが、交代選手が【フランチェスコリ】です。
【フランチェスコリ】チルドレンはいたるところにいる証明です。
【サラス】【アイマール】【アルメイダ】【デル・ピエロ】【レコバ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
まとめ
Embed from Getty Imagesいかがでしたでしょうか。
【エンツォ・フランチェスコリ】はプレーと言動の両方でチームを牽引しました。
サッカーは相手より1点でも多く点を取るスポーツです。
1対0でも5対4でも等しく勝点を得ることができます。
そのなかで守備に特化したチームもあれば攻撃に特化したチームもあります。
1対0のしびれる試合も良いですが、点を取り合う試合を見たいのが本心です。
そんな中で【フランチェスコリ】のようなプレーで、スポーツ観戦が「芸術鑑賞」になればと思います。
幸いにも日本代表には【三笘薫】【久保建英】の二人がいます。
「ファンタジスタ」は絶滅することはありません。
二人の芸術がピッチでどんなアートを魅せてくれるのか楽しみです。
【エンツォ・フランチェスコリ】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【マルコ・ファン・バステン】です。
Embed from Getty Imagesここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
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