どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手はドイツの【ピエール・リトバルスキー】です。
Embed from Getty Images「 ピエール・リトバルスキーはどんな選手?」
「ピエール・リトバルスキーのエピソード教えて!」
と思っていただいたあなたへお届けします。
ちょいちょいぼくのエピソードも混じっていますが、お付き合いいただければ幸いです。
いきなりですが【ピエール・リトバルスキー】にキャッチフレーズをつけます。
オクトパスドリブル
「ボールの収納上手」
なぜこのキャッチフレーズをつけたのか【ピエール・リトバルスキー】のすごいぞポイント3つを軸に語っていきますので、しばしお付き合いください。
いち早く実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。
プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。
- プレースタイル「ドリブラー」
- ワールドカップの栄光
- ジェフユナイテッド市原のレジェンド
選手プロフィール
- 名前:ピエール・リトバルスキー
- 国籍:ドイツ
- 生年月日:1960年4月16日
- 身長・体重:168cm64kg
- 利き足:右足
- ポジション:MF(ミッドフィルダー)、FW(フォワード)
- 主な所属チーム:1FCケルン、ジェフユナイテッド市原
- 代表歴:73試合(18得点)
- ワールドカップ出場:1982年、1986年、1990年
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1978-1986 | 1.FCケルン | 234 | (89) |
1986-1987 | RCパリ | 34 | (4) |
1987-1993 | 1.FCケルン | 172 | (27) |
1993-1994 | ジェフユナイテッド市原 | 63 | (10) |
1996-1997 | ブランメル仙台 | 29 | (5) |
出会い
【ピエール・リトバルスキー】との出会いは、Jリーグ開幕の1993年にさかのぼります。
【リトバルスキー】はオリジナルトップ10の一つであるジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)に所属していました。
当時の外国人の有名選手の知名度は【ジーコ】と【リネカー】が頭一つ抜けていました。
のちに知ることになりますが、ワールドカップの実績では【リトバルスキー】がさらに上をいっていました。
名前もカッコイイです。
キャプテン翼にフランス人の「エル・シド・ピエール」が出てくるため「ピエール」はフランスを連想しオシャレです。
「リトバルスキー」も響きが良いです。
かけ合わせた【ピエール・リトバルスキー】は芸術的かつ実直な性格もあらわしているとにらんでいます。
Embed from Getty Imagesすごいぞポイント3つ
プレースタイル「ドリブラー」
【ピエール・リトバルスキー】のプレースタイルは「ドリブラー」です。
両足遜色なく使えるため、相手はどちらに行くか読めません。
さらに切り返しも深いため、右に左に重心を揺さぶられ、華麗に抜き去る【リトバルスキー】を見送るしかありません。
最も特徴的なのはガニ股な足です。
すっぽりボールが収まり相手からボールを奪われることはほぼありません。
ボールが吸い付く様はまさに「オクトパス」です。
スピードを武器とした【マルク・オーフェルマルス】や【ライアン・ギグス】、技術を武器とした【ルイス・フィーゴ】とは違ったドリブラーです。
【オーフェルマルス】【ギグス】【フィーゴ】に興味のある皆さまは下記記事をご覧ください。
Embed from Getty Imagesワールドカップの栄光
【ピエール・リトバルスキー】を語る上でワールドカップの活躍は外せません。
決勝の舞台を3回も踏んでいます。
1回目は1982年、相手はイタリア。
決勝までに大会最多の5つのアシストを記録します。
決勝では得点王となるイタリアの【パオロ・ロッシ】に先制点を奪われ3対1で敗れます。
2回目は1986年、相手はアルゼンチン。
チームは決勝に進みましたが、【リトバルスキー】は準決勝と決勝は出番がなく、【ディエゴ・マラドーナ】率いるアルゼンチンに敗れます。
3回目は1990年、相手はまたもやアルゼンチン。
ドイツ側から見たらリベンジの機会が訪れました。
ドイツのスタメンには【ローター・マテウス】【ギド・ブッフバルト】【ユルゲン・クリンスマン】などとともに【リトバルスキー】も名を連ねます。
【ブレーメ】の終了間際のペナルティキックによる1点を守りきり、優勝を果たします。
【リトバルスキー】にとっては3度目の正直でワールドカップのトロフィーを掲げることとなります。
【マテウス】【ブッフバルト】に興味のある皆さまは下記記事をご覧ください。
ジェフユナイテッド市原のレジェンド
【ピエール・リトバルスキー】はドイツでの輝かしい実績をもちながらJリーグのチームに移籍します。
Jリーグ開幕前夜の時期の1993年のことです。
「浦和レッズ」の誘いもあったそうですが、最終的には「ジェフユナイテッド市原」に移籍しました。
1FCケルン時代の【奥寺康彦】さんがいっちょかみしていたとかいないとか。
改めて【リトバルスキー】のジェフユナイテッド市原の在籍期間をみたら2年間でした。
しかし、強烈なインパクトを残したため、それ以上在籍していたような記憶があります。
ドリブルはもちろん、周りを活かすパス、フリーキックと多彩な技を存分に見せてくれました。
ユニフォームに「SEGA」のロゴがあり、メガドライブのゲームにハマっていた僕としてはうらやましかった記憶があります。
さらに、【リトバルスキー】はCMにも出演していました。
なぜか所属したことがない「バイエルンハム」でした。
「オッオッオッリティ、オッオッオッリティ」と言うフレーズは今でも頭に残っています。
もう一つミロのCMにも出演していました。
「やるねぇ」からの「リティパワーだ」も懐かしいです。
プレーからそれてすいません。
それだけ、日本のJリーグの始まりに貢献したことの証明だとおもいます。
【アルシンド】もね。
Embed from Getty Imagesまとめ
いかがでしたでしょうか。
【ピエール・リトバルスキー】が偶然の導きでジェフユナイテッド市原に来てくれて、日本でプレーしてくれて感謝します。
足に吸い付くドリブルをすれば、どんな密集地帯でもボールを取られることはありません。
【リトバルスキー】のような「ボールの収納上手」は時間と空間を作ります。
引退した選手では【本山雅志】。
現役なら【三笘薫】【久保建英】【堂安律】【鎌田大地】。
ワールドカップでは、相手に簡単に奪われないボールキープは貴重になります。
【ピエール・リトバルスキー】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【イケル・カシージャス】です。
お楽しみにしてください、またね。
Embed from Getty Imagesここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
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