どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手は日本の【小野伸二】です。
Embed from Getty Images「小野伸二ってウイイレ、イーフットボール、サカつくなどのサッカーゲームでレジェンド枠でよくでてくるけどどんな選手だったの?」
「小野伸二の代表チームやクラブチームでの活躍を面白おかしく教えて!!」
と思ったあなたへお届けします。
この記事を読んでいただければ、【小野伸二】のプレースタイルと数値化された6つの能力(オフェンス、ディフェンス、テクニック、パワー、スピード、スタミナ)を知ることが出来ます。
さらに代表チームとクラブチームそれぞれのパートに分けて活躍を知ることでファンになること間違いなしです。
選手プロフィールと下記3つを軸に語っていきますので、5分ほどお時間をください。
- プレースタイルと能力【パラメータ】
- ワールドカップ最年少出場記録【代表チーム】
- 浦和レッズの鮮烈デビューとフェイエノールトでの欧州王者【クラブチーム】
四の五の言わずに実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。
プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。
選手プロフィール
- 名前:小野伸二
- 国籍:日本
- 生年月日:1979年9月27日
- 身長・体重:175cm74kg
- 利き足:右足(実質両足)
- ポジション:ミッドフィルダー
- 代表歴:56試合(6得点)
- ワールドカップ出場:1998年、2002年、2006年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』小野伸二
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1998-2001 | 浦和レッズ | 79 | (20) |
2001-2005 | フェイエノールト | 112 | (19) |
2006-2007 | 浦和レッズ | 53 | (8) |
2008-2009 | VfLボーフム | 29 | (0) |
2010-2012 | 清水エスパルス | 70 | (8) |
2012-2014 | ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC | 47 | (9) |
2014-2019 | コンサドーレ札幌北海道コンサドーレ札幌 | 62 | (2) |
2019-2020 | FC琉球 | 23 | (0) |
2021-2023 | 北海道コンサドーレ札幌 | 6 | (0) |
プレースタイルと能力【パラメータ】
Embed from Getty Images【小野伸二】の能力を表すパラメータがこちらです。
- オフェンス:16
- ディフェンス:10
- テクニック:19
- パワー:13
- スピード:12
- スタミナ:14
- 総合力:84
出典: WORLD CLUB Champion Football セガ
【小野伸二】のプレースタイルはファンタジスタです。
プレースタイルを語る前に出会いを少し語ります。
【小野伸二】との出会いは「清商(きよしょう)」こと清水商業高校時代にさかのぼります。
当時の静岡サッカーは清水勢の清商、清水東、東海第一の3強に古豪の静岡学園と藤枝東がからんでどこが県代表になってもおかしくない状況でした。
【川口能活】が3年生のときの第72回大会(1993年度)に清商、【南雄太】が1年生のときの第74回大会(1995年度)に静岡学園が優勝しています。
静岡には「KICK OFF」というサッカー専門番組がJリーグが始まる前の1986年からあり、高校サッカーをよく取り上げていました。
その中で清商の【小野伸二】が取り上げられていて、一瞬で虜になりました。
そのプレーはまさにファンタジスタです。
ボールタッチ、ドリブル、パス、シュートを簡単そうに見せつつ、見ている人の思いもよらないプレーを繰り出す姿はキャプテン翼の翼くんを彷彿とさせました。
敵も味方も高校生だからできるプレーなのか、プロでも同じプレーができるのか、期待しかなかったことを今でも覚えています。
ワールドカップ最年少出場記録【代表チーム】
最年少出場した1998年フランスワールドカップ
Embed from Getty Images【小野伸二】は1998年に代表デビューします。
1998年は日本にとってワールドカップ初出場の年のため、代表枠23人を争う熾烈な年とも言えます。
1997年のジョホールバルの奇跡でワールドカップの切符を獲得したメンバーを本大会に必ず行けるわけではないので、ある意味横一線のスタートとなります。
もちろん、予選突破メンバーが中心になりますが、新メンバーで刺激と戦力アップを「岡田監督」は求めました。
そのメンバーこそ18歳の【小野伸二】であり17歳の【市川大祐】でした。
実際のところは分かりませんが、当時からボール扱いに関しては日本一は【小野伸二】だったと思います。
ワールドカップの23人枠に入ったのは、若手枠ではなく実力からいっても必然だったのかもしれません。
一番上手い選手を若いからや経験不足だからといって選ばないという選択肢をしなかった「岡田監督」の英断でした。
事実、フランス大会では同い年の【マイケル・オーウェン】がワンダーボーイとなり世界中を席巻します。
そして【小野伸二】は1998年ワールドカップのジャマイカ戦に最年少の18歳272日で出場しました。
この記録は今でも破られていません。
軽やかなタッチで股抜きを決めるあたりは【小野伸二】の真骨頂で、どの舞台でも自分のテクニックを十二分に発揮し、なおかつサッカーを楽しんでいるのが見えて脳裏に今でも焼き付いています。
【マイケル・オーウェン】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
黄金世代のキャプテンとして世界にその名を轟かした1999年ワールドユース
【小野伸二】は1998年にワールドユースアジア選手権で準優勝しMVPを受賞します。
そして男子サッカーで未だに破られていない、世界大会の最高成績を1999年ワールドユースで成し遂げることとなります。
【小野伸二】以外の当時の主なメンバーは、【高原直泰】【本山雅志】【稲本潤一】【中田浩二】【遠藤保仁】【小笠原満男】などゴールデンエイジと呼ぶにふさわしい選手がそろっていました。
特に中盤に人材がそろっており、「キャプテン翼」の翼くんに憧れた影響が色濃く反映した世代とも言えます。
その中でキャプテンとしてチームを引っぱったのが【小野伸二】です。
まさに「キャプテン伸二」です。
当時、注目度も高く深夜放送ながら生中継で地上波放送のテレビを見た記憶があります。
しかし、グループリーグ初戦のカメルーン戦は2対1で敗北し、いきなり暗雲が立ちこめます。
静岡時代からのライバルであり相棒の【高原直泰】が1点決めたのが救いです。
2戦目のアメリカ戦は「絶対に負けられない戦い」でした。
オウンゴールで先制し、またもや【高原直泰】が得点し、【小笠原満男】がダメ押し点を決め3対1で勝利します。
1勝1敗のためまだ「絶対に負けられない戦い」は続きます。
第3戦はイングランドです。
【マイケル・オーウェン】は出場していませんが、のちに代表の主力となる【アシュリー・コール】がいました。
唯一プロではなく大学生だった伏兵【石川竜也】が先制点を決めます。
グループリーグ突破を決めるとどめは千両役者の【小野伸二】です。
2対0で勝利すると、グループリーグ2勝1敗で首位通過します。
ベスト16ではユース世代はめっぽう強いポルトガルと対戦します。
【遠藤保仁】の先制点で1点リードしますが、後半35分に追いつかれます。
延長戦でも決着がつかずPK戦にもつれこみます。
緊張感あふれる先頭キッカーは【小野伸二】です。
名手でも外すことがあるPKですが、【小野伸二】には心配無用でした。
確実に決め、勢いそのままに5人全員決めベスト8へ進みます。
こぼれ話ですが、このときのPK戦のキッカーはトルシエ監督の指名ではなく、立候補でした。
2022年のカタールワールドカップと同じシチュエーションで結果は逆だったので、森保監督の選択は紙一重だったのかもしれません。
話は戻って、ベスト8の相手は【ラファエル・マルケス】率いるメキシコです。
先制点は日本です。
この世代のナンバーワンドリブラーの【本山雅志】です。
現在では【三笘薫】がナンバーワンドリブラーと言われていますが、当時は満場一致で【本山雅志】です。
電光石火で【本山雅志】がゴールを決め、ダメ押し点はまたしても【小野伸二】です。
2対0で勝利しベスト4へコマを進めます。
ベスト4の相手は【ロナウジーニョ】率いるブラジルを破ったウルグアイです。
若き【ディエゴ・フォルラン】がいました。
当時の日本サッカー男子の世界大会での成績は3位が最高なので、ベスト4の壁は一度も破ったことがありませんでした。
先制点は【高原直泰】が決めますが、ウルグアイもすぐさま追いつきます。
決勝ゴールを決めたのはまたしても【小野伸二】の相棒でした。
今度は【高原直泰】でなく浦和レッズの同僚の【永井雄一郎】です。
2対1でからくも勝利し、決勝の舞台へ日本は進みます。
しかし、日本にとっても【小野伸二】にとっても不運が訪れます。
終了間際に日本のスローインで普段はサイドのプレーヤーが投げる場面で、近くにいた【小野伸二】が投げることとなります。
そして一瞬なげるのが遅くなった時にレフリーの笛がなります。
時間稼ぎと取られて【小野伸二】にイエローカードが出されます。
普通の試合なら問題ないのですが、累積のイエローカードの関係で次戦が出勝停止となります。
その次戦が優勝をかけた決勝なので、悲運としかいいようがありません。
しかも、意図的な時間稼ぎならまだしも【小野伸二】にはみじんもその雰囲気はなかったので、「なんでだよ」と夜中に叫んだ記憶があります。
時間稼ぎをするつもりなら、そもそも近くの選手がスローインせず、遠くの選手を待つはずです。
むしろ早く試合を始めたいから【小野伸二】はボールを持ったのだと思います。
その後、決勝で【シャビ・エルナンデス】率いるスペインに惨敗して波乱のワールドユースは幕を閉じます。
【ラファエル・マルケス】【ロナウジーニョ】【シャビ・エルナンデス】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
日本初のグループリーグ突破しベスト16にたどりついた2002年日韓ワールドカップ
Embed from Getty Images【小野伸二】はアジア初の2002日韓ワールドカップで2度目のワールドカップに出場しています。
中心メンバーは二人のカリスマである【中田英寿】世代と【小野伸二】世代の融合です。
23人中19人が22歳から26歳と若いメンバーで、ベテラン枠として【中山雅史】と【秋田豊】がサプライズで招集されました。
【中村俊輔】が23人枠から外れる逆サプライズも記憶に残っています。
トルシエ監督はフラット3と呼ばれる3バックを採用しており、中盤はウィングバック二人、ボランチ二人、トップ下一人の5人、フォワードは2トップが基本でした。
いわゆる352のフォーメーションです。
トップ下のファーストチョイスに当時セリエAでも実績を残している【中田英寿】が君臨しているため、同じポジションの選手は出場の機会が限られました。
黄金世代のキャプテン【小野伸二】でさえも本来のポジションでは起用されませんでした。
しかし【小野伸二】の類まれなるテクニックをベンチでくすぶらせることは、頑固なトルシエ監督もしませんでした。
左のウイングバックでの起用です。
生粋の右利きの選手は左サイドはワンテンポプレーが遅れますが、両利きの【小野伸二】はまったくプレーの質が落ちません。
当時の選手構成ではこのポジションがベストだったのかもしれません。
ボランチには【稲本潤一】、フラット3の左サイドは【中田浩二】で黄金世代トライアングルで連携抜群の効果もあります。
そんななか、【小野伸二】の2度目のワールドカップが開幕します。
相手はベルギー。
先制点は【鈴木隆行】が決めます。
アシストは誰あろう【小野伸二】。
左サイドから相手スペースの裏へ柔らかくバックスピンがかかった絶妙なパスをくりだします。
相手DEFフェンダーが触れずゴールキーパーもとびだせず、なおかつ【鈴木隆行】が足を伸ばしてギリギリ触ることができるパスは、先が見えるファンタジスタにしかできないパスです。
同級生の【稲本潤一】のゴールもあり2対2で初戦を終えます。
2戦目の相手はロシア。
ラッキーボーイ【稲本潤一】のゴールで日本ワールドカップ初勝利を手に入れます。
【小野伸二】は後半30分に守備のスペシャリスト【服部年宏】に交代していたため、初勝利のピッチには立ってはいませんでしたが、勝利に貢献したのは言うまでもありません。
3戦目の相手はチュニジア。
グループリーグ突破を決める重要な試合のため、当然のように【小野伸二】もスタメンで起用されます。
先制点は後半から起用された「モリシ」こと【森島寛晃】です。
ダメ押しは1998年フランスワールドカップで【三浦知良】や【北澤豪】とともに最終メンバー発表で外れた【市川大祐】のクロスを名実ともに日本のエースとなった【中田英寿】が決めます。
【小野伸二】はフル出場しました。
ベスト16の相手はトルコ。
トルシエ監督はグループリーグからフォワードを変えます。
【西澤明訓】のワントップと【三都主アレサンドロ】の起用は今でも賛否が別れる逆サプライズでした。
結果は1対0で敗戦し、ここからベスト16の壁に日本代表は阻まれることとなります。
惜しむらくはワールドカップ直前にエコノミー症候群を発症した【高原直泰】がいなかったことです。
【小野伸二】とのゴールデンコンビで日本の得点能力は飛躍的にあがった可能性がありました。
4年に1度にベストメンバーがベストコンディションで集まるのが難しいと、改めて思った大会でした。
【中田英寿】【中村俊輔】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
黄金の中盤が未完成に終わった2006年ドイツワールドカップ
Embed from Getty Images【小野伸二】の3度目のワールドカップは2006年ドイツワールドカップです。
2002年大会がシステマチックで鬼教官的な「トルシエ監督」ならば、2006年大会の指揮をとるのは自由かつ創造性を重視する「ジーコ監督」です。
「ジーコ監督」が現役時代黄金の中盤を形成していたため、日本代表でも再現を目指します。
【中田英寿】【中村俊輔】【小野伸二】【稲本潤一】の同時起用です。
しかし、本番ではバランスを加味し352のフォーメーションになったため、その時点で黄金の中盤は未完のまま終わりました。
【小野伸二】【稲本潤一】以外にも黄金の中盤資格者の【小笠原満男】【遠藤保仁】もサブメンバーでした。
状況は1994年アメリカワールドカップに少し似ています。
【ロベルト・バッジョ】以外に【ジュゼッペ・シニョーリ】や【フランコ・ゾラ】などファンタジスタが揃っていて起用法は「アリゴ・サッキ監督」に委ねられていました。
結果は【ロベルト・バッジョ】のみ本来のポジションで起用し、準優勝に導きます。
ちなみに漫画「ファンタジスタ」は4人のファンタジスタが主人公以外は少しずつ役割を変更し、同時起用を成立させました。
【ジーコ】【ロベルト・バッジョ】【ジュゼッペ・シニョーリ】【フランコ・ゾラ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
浦和レッズの鮮烈デビューとフェイエノールトでの欧州王者【クラブチーム】
鮮烈デビューとJ2経験【浦和レッズ】
Embed from Getty Images【小野伸二】は清水商業高校卒業後に浦和レッズに入団します。
プロの世界でも【小野伸二】のスキルは群を抜いていました。
何より落ち着きに驚嘆しました。
両足を巧みに使うボールタッチが時間を産み、敵も味方も見えるためパスコースが鮮やかに見えているのだと思います。
その見えたパスコースにインサイドキック、アウトサイドキックなど様々な蹴り方を駆使しつつ、なおかつ【福田正博】や【岡野雅行】など選手の特性に合わせてボールのスピンをかけるのは神業でした。
それを1年目から見せる【小野伸二】が18歳ながら日本代表に呼ばれるのは必然でした。
2年目のシーズンに天国と地獄を見ます。
ワールドユースは準優勝に導き、ベストイレブンに選出されるか活躍を見せ天国を見ます。
幸か不幸か【小野伸二】が世界の舞台で活躍したことで、相手チームのマークが厳しくなります。
そして事件がおきます。
2000年シドニーオリンピック予選のフィリピン戦で相手ディフェンダーの危険なタックルで左膝靭帯断裂の大怪我を負います。
この怪我で、バロンドールも夢じゃないほどの【小野伸二】の才能がしぼんでしまったことは世界サッカーの損失でした。
不屈の精神で【小野伸二】はその怪我から復活します。
怪我の影響で試合に出れない期間があり、浦和レッズはJ2に降格しました。
【小野伸二】ほどの才能があれば怪我があったとはいえ、高校時代を過ごした清水にある清水エスパルスなどのJ1からの誘いも多かったはずなのに浦和レッズに残留します。
そして、クラブ史上最年少でキャプテンとしてチームを引っ張り、24試合7得点で一年でJ1に復帰しました。
しかも最終節に昇格を決める勝負強さも見せます。
2001年には日本代表に復帰し、FIFAコンフェデレーションズカップ2001の準優勝をレギュラーとして成し遂げ、世界に【小野伸二】ここにありを見せつけます。
ちなみに決勝の相手は【ジネディーヌ・ジダン】率いるフランスでした。
【ジダン】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
ヨーロッパチャンピオンに導いた【フェイエノールト】
Embed from Getty Images【小野伸二】はいよいよ海外でデビューします。
怪我を乗り越えての移籍先はオランダの「フェイエノールト」です。
アヤックスファンとしては「アヤックス」に移籍してほしかったですがやむを得ません。
【小野伸二】の試合は深夜ですが生放送をしていましたので、眠い目をこすりながら見ていました。
ここでも【小野伸二】は浦和レッズでの初年度同様に衝撃を与えます。
海外初挑戦でオランダ語もそれほど話せない状態でも、ボールタッチとキックの正確さは万国共通のため、一気にチームメイトの信頼を得ます。
特にパスの受け手であるフォワードからの信頼度はハンパないです。
フリーキックの名手【ファン・ホーイドンク】、デンマークの英雄の一人【ヨン・ダール・トマソン】、若き日の【ファン・ペルシー】など多士済々のメンバーを虜にしました。
ループシュートやロングボールをピタっと止めるトラップは、スタンドの観客もテレビを見ている人も時を止められた感覚になります。
【小野伸二】がトップ下からボランチにポジションを変えたのもこの時期だったと記憶しています。
ボランチの中でもレジスタと呼ばれていました。
レジスタとは、もともとは演出家や映画監督などの指揮をとる人を指します。
それが転じて、サッカー選手に使う場合、プレーをコントロールする司令塔を指します。
「レジスタベストスリー」に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
【小野伸二】のフェイエノールトでの活躍に話を戻します。
チャンピオンズリーグのグループリーグは3位となり、ベスト16には進めませんでしたがUEFAカップの3回戦からの出場権を得ました。
3回戦はドイツの「フライブルク」、4回戦はスコットランドの「レンジャーズ」を撃破します。
準々決勝はオランダリーグのライバル「PSV」。
2試合合計2対2。
アウェイゴールも同じためPK戦にもつれこみますが突破。
準決勝の相手はイタリアの強豪「インテル」。
【クリスティアン・ビエリ】【アルバロ・レコバ】【ハビエル・サネッティ】など名選手が揃っていました。
この関門も2試合合計3対2とギリギリの戦いで突破します。
決勝の相手はドルトムント。
ベテランで守備の要【ユルゲン・コーラー】、魔術師【トマーシュ・ロシツキー】、【三浦知良】【ラモス瑠偉】などが活躍していたヴェルディ川崎のサテライト出身の【アモローゾ】など侮れない相手です。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』UEFAカップ 2001-02 決勝
【ファン・ホーイドンク】が得点を重ね2対0とリードします。
【アモローゾ】のPKで1点差に詰め寄られますが【トマソン】が決め3対1。
2メートル超えの巨人【ヤン・コレル】に決められ、3対2となりますがしのぎきり優勝カップを手に入れます。
【小野伸二】はヨーロッパにその名を轟かせ、キャプテン翼の「松山光」よろしくハチマキをして優勝カップを掲げた姿は忘れません。
【ファン・ホーイドンク】【ファン・ペルシー】【クリスティアン・ビエリ】【アルバロ・レコバ】【ハビエル・サネッティ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
清水へ高校以来の帰還【エスパルス】
Embed from Getty Images【小野伸二】は浦和レッズ復帰、ドイツのボーフムを経て清水に帰還します。
清水エスパルスからみても悲願の獲得になります。
「長谷川健太監督」のもと【市川大祐】や【岡崎慎司】などとともに2010年ワールドカップによる中断までは首位で折り返します。
【小野伸二】が文字通りチームの中心で牽引しました。
最終的な順位は6位となりましたが、天皇杯は準優勝に導きます。
2023年現在、清水エスパルスはJ2にいます。
【小野伸二】が監督となってJ1での清水エスパルス優勝が現実になることを夢を見ています。
さながら名古屋グランパスの【ドラガン・ストイコビッチ】のように。
【ドラガン・ストイコビッチ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
まとめ
Embed from Getty Imagesいかがでしたでしょうか。
【小野伸二】は日本サッカーの歴史を急速に進めた選手の一人です。
世界大会の決勝の舞台に導き、ワールドユースで準優勝をしたことは未だ破られていません。
日本でのワールドカップでの日本の初得点が【小野伸二】のパスから産まれたのは未来永劫語られることかと思います。
両利きかつ高いサッカーIQを持つ【小野伸二】であれば、究極のところゴールキーパー以外どこでもできます。
キャプテン翼の翼くんが「南葛対修哲」でリベロで起用されたように。
2023年を持って現役を引退した【小野伸二】は永遠のサッカー小僧として不世出の天才として脳裏に刻み込まれています。
【小野伸二】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【カルレス・プジョル】です。
Embed from Getty Imagesここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
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