どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手は日本の【長谷部誠】です。
Embed from Getty Images「長谷部誠ってウイイレ、イーフットボール、サカつくなどのサッカーゲームでレジェンド枠でよくでてくるけどどんな選手だったの?」
「長谷部誠の代表チームやクラブチームでの活躍を面白おかしく教えて!!」
と思ったあなたへお届けします。
この記事を読んでいただければ、【長谷部誠】のプレースタイルと数値化された6つの能力(オフェンス、ディフェンス、テクニック、パワー、スピード、スタミナ)を知ることが出来ます。
さらに代表チームとクラブチームそれぞれのパートに分けて活躍を知ることでファンになること間違いなしです。
選手プロフィールと下記3つを軸に語っていきますので、5分ほどお時間をください。
- プレースタイルと能力【パラメータ】
- Jリーグ発足後の日本代表最長期間キャプテン【代表チーム】
- やんちゃ坊主から皇帝へ【クラブチーム】
四の五の言わずに実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。
プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。
選手プロフィール
- 名前:長谷部誠
- 国籍:日本
- 生年月日:1984年1月18日
- 身長・体重:180cm73kg
- 利き足:右足
- ポジション:ミッドフィルダー、ディフェンダー
- 代表歴:114試合(2得点)
- ワールドカップ出場:2010年、2014年、2018年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』長谷部誠
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
2002-2007 | 浦和レッズ | 149 | (12) |
2008-2013 | ヴォルフスブルク | 135 | (5) |
2013-2014 | ニュルンベルク | 14 | (0) |
2014-2024 | フランクフルト | 235 | (2) |
通算 | 533 | (19) |
プレースタイルと能力【パラメータ】
Embed from Getty Images【長谷部誠】の能力を表すパラメータがこちらです。
- オフェンス:14
- ディフェンス:14
- テクニック:15
- パワー:14
- スピード:14
- スタミナ:17
- 総合力:88
出典: WORLD CLUB Champion Football セガ
【長谷部誠】は年齢とともにプレースタイルが変わった選手です。
パラメータを見ていただくとわかるのですが、突出したものはありませんがすべてが高水準です。
ここから言えることは、守備も攻撃もできる。
ドリブルもできる。
パスもできる。
シュートもできる。
その上でスタミナもある。
白眉(最もすごいこと)は状況判断能力です。
どのタイミングでドリブルすべきか、攻撃のスイッチのバスを出すべきか、スペースを埋めた守備をすべきかなど一瞬で判断します。
Jリーグ発足後の日本代表最長期間キャプテン【代表チーム】
2010年南アフリカワールドカップ
Embed from Getty Images【長谷部誠】は日本代表として3度ワールドカップに出場しています。
望むか望まざるかは別にしてすべてキャプテンとして出場することとなります。
キャプテン就任は2010年南アフリカワールドカップの直前に不意に訪れます。
「岡田武史監督」がゲームキャプテンを【中澤佑二】から【長谷部誠】に変更することを告げられます。
僕も「このタイミングでキャプテン変更?」と不思議に感じた記憶があります。
この「岡田監督」の英断が吉と出ます。
ちなみに、岡田監督は「カズ落選」と「長谷部キャプテン任命」と2つの日本サッカー分岐点を作りました。
【長谷部誠】がゲームキャプテンになることで皆が支えます。
長らくチームを支えワールドカップの怖さを知る【川口能活】【楢崎正剛】【中澤佑二】のベテラン。
1999年のワールドユース準優勝を経験している【遠藤保仁】【稲本潤一】。
アテネオリンピックで苦渋を味わった【大久保嘉人】【松井大輔】【阿部勇樹】【田中マルクス闘莉王】【駒野友一】【今野泰幸】。
当時若手ながらプレーでチームを牽引した【本田圭佑】【長友佑都】【岡崎慎司】の新世代。
怪我や体調面でレギュラーからサブに回った【中村俊輔】【内田篤人】。
【長谷部誠】は世代別代表では絶対的存在でなかったため、若い頃からずっとチームメイトだった選手がこの中にいません。
だからこそ「派閥」にとらわれず全世代をまとめあげるキャプテンにもっともふさわしかったのかもしれません。
ヴォルフスブルクで欧州5大リーグの一つであるドイツのブンデスリーガで優勝を経験している実績も見逃せません。
【長谷部誠】キャプテン率いる日本代表は快進撃を見せます。
初戦はバルセロナやインテルで活躍した【サミュエル・エトー】率いるカメルーン。
【本田圭佑】の一撃で日本が1対0の勝利。
2戦目は【ヴェスレイ・スナイデル】【ファン・デル・ファールト】【ロビン・ファン・ペルシ】【アリエン・ロッベン】など好きな選手が目白押しのオランダ。
【スナイデル】の一撃でオランダが1対0の勝利。
1勝1敗で迎えた3戦目はデンマーク。
【スナイデル】の一撃でオランダが1対0の勝利。
【本田圭佑】【遠藤保仁】の伝説のフリーキックもあり日本が3対1の勝利。
2勝1敗でグループリーグ2位で突破。
決勝トーナメントの初戦はパラグアイ。
0対0のまま延長でも決着つかずPK戦で敗退。
ちなみに【長谷部誠】は2番目に蹴り決めています。
【長谷部誠】にとって酸いも甘いも経験したワールドカップでした。
【中村俊輔】【サミュエル・エトー】【ヴェスレイ・スナイデル】【ファン・デル・ファールト】【ロビン・ファン・ペルシ】【アリエン・ロッベン】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
2011年アジアカップ
Embed from Getty Images【長谷部誠】が代表でのビッグタイトルは2011年アジアカップです。
日本代表は「岡田監督」から「アルベルト・ザッケローニ監督」に変わっています。
グループリーグは2010年南アフリカワールドカップ経験者を軸に2勝1分けで首位突破します。
【長谷部誠】は2戦目のシリア戦で先制ゴールを決めています。
決勝トーナメントからは激戦です。
まずは開催国のカタールと激突。
カタールが先制点を奪えば日本が追いつく。
カタールが勝ち越し点を奪えば日本が追いつく。
いずれも【香川真司】のゴール。
そして後半終了間際に【伊野波雅彦】のゴールで劇的勝利。
準決勝は永遠のライバル韓国。
この試合もシーソーゲームとなります。
韓国が先制点を奪えば日本が追いつく。
延長で日本が勝ち越し点を奪えば韓国が追いつく。
PK戦までもつれこみ【川島永嗣】の活躍で劇的勝利。
決勝の相手はワールドカップアジア予選でもワールドカップ本戦でもなぜかよく対戦するこちらも因縁の相手オーストラリア。
この試合も多分に漏れずシーソーゲームになります。
どちらも得点が入らず、0対0のまま延長にもつれこみます。
均衡を破ったのは日本でした。
【長友佑都】が左サイドをえぐり中央にパスをだします。
待ち構えていたのは【李忠成】。
当時、生中継を食い入るように見ていましたが、まさに時が止まったような感覚を覚えています。
【李忠成】がボレーの構えをしたところからボールをとらえてゴールに吸い込まれるまで脳裏に焼き付いています。
これにてアジアカップ優勝。
優勝カップをかかげたのはキャプテン【長谷部誠】。
【長谷部誠】にとって酸いも甘いも経験したアジアカップでした。
2014年ブラジルワールドカップ
Embed from Getty Images【長谷部誠】の2度目のワールドカップは苦い思い出となります。
初戦はアフリカの新興勢力コートジボワール。
【ディディエ・ドログバ】の全盛期がコートジボワールの全盛期となるほど影響力が高い選手が君臨しています。
ただし、怪我をしていることもあり先発ではありませんでした。
逆に言うと「スーパーサブ」としてピンチのときに登場できるとも言えます。
そしてその予感は当たってしまいます。
【本田圭佑】が前半16分に先制点を決めます。
1点を追うコートジボワールは後半17分【ディディエ・ドログバ】を投入します。
直ぐに効果がでます。
2分後にコートジボワールが同点ゴールを決めます。
その2分後にコートジボワールが逆転ゴールを決めます。
そしてそのまま1対2のまま試合終了し、日本は初戦で逆転負けという絶望的な状況に追い込まれます。
2006年ドイツワールドカップのオーストラリア戦を思い起こさせる負けでした。
【ディディエ・ドログバ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
2戦目はギリシャ。
3戦目はグループ最強と目されていたコロンビアのため、絶対に勝たなければいけない状況でした。
あなどることなかれ、ギリシャはユーロ2004で優勝しています。
結果、ギリシャの守りをくずせず0対0で引き分けで終わります。
2006年ドイツワールドカップのクロアチア戦を思い起こさせるスコアレスドローでした。
3戦目はコロンビア。
少し脱線しますが、コロンビアの選手で【カルロス・バルデラマ】と【ファウスティーノ・アスプリージャ】が大好きでした。
首位突破を決めていたためメンバーは少し落ちていました。
結果論でいうと1対0でも良いので勝利すればグループリーグ突破できましたが、4対1で完敗します。
【長谷部誠】にとって酸いしかないワールドカップでした。
【カルロス・バルデラマ】【ファウスティーノ・アスプリージャ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
2018年ロシアワールドカップ
Embed from Getty Images【長谷部誠】は3度目のワールドカップに挑みます。
船出は困難でした。
「ハビエル・アギーレ監督」はクラブチームを指揮していたときの八百長疑惑で一年もたず解雇。
「ヴァイッド・ハリルホジッチ監督」はワールドカップ予選を突破し、いざ本戦へというタイミングで解雇。
【前園真聖】【中田英寿】【川口能活】とともにアトランタオリンピックでブラジル相手に「マイアミの奇跡」を演じた「西野朗監督」が本番2ヶ月前に就任します。
【中田英寿】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
この監督変更が吉と出るか凶とでるか。
初戦は前回大会に惨敗を喫したコロンビア。
のっけから予想外の展開で始まります。
開始3分で【香川真司】のシュートがコロンビアの選手の腕にあたり、「ハンド」の反則で退場。
PKも落ち着いて【香川真司】が決め1対0でリードします。
試合前に監督やコーチ、スカウティングチームによってあらゆるパターンをシミュレーションをしたと思いますが、このパターンは予想外だったと思います。
一人多い状況でしたが、前半のうちにコロンビアに同点ゴールを奪われます。
後半に【大迫勇也】のゴールでなんとか勝ち越し勝利します。
2戦目はリバプールで活躍した【サディオ・マネ】が中心のセネガル。
この試合はシーソーゲームとなります。
セネガルが先制点を奪えば日本が追いつく。
セネガルが勝ち越し点を奪えば日本が追いつく。
引き分けで終わったため、最終戦にグループリーグ突破が持ち越されます。
グループ最終戦は【ロベルト・レヴァンドフスキ】が中心のポーランド。
この試合は物議を醸しました。
ポーランドが1対0でリードしたところで、他会場の試合もあいまって複雑な状況となりました。
日本対ポーランド「0対1」、コロンビア対セネガル「1対0」
残り15分をこのまま終われば日本とコロンビアが勝ち抜け。
日本対ポーランド「0対2」、コロンビア対セネガル「1対0」
日本対ポーランド「0対1」、コロンビア対セネガル「1対1」
この場合、セネガル勝ち抜け。
基本条件は「日本が点を取られない」かつ「セネガルが点をとらない」です。
厳密には他にもあるのですがこの条件で語ります。
日本がとった戦略はステイでした。
点を与えないことを優先して点を取りに行くことを放棄しました。
相手のポーランドはグループリーグ敗退が決まっていたので無理に攻めることをせず、両者の利害が一致しました。
終始、ボール回しをするだけで残りの時間を費やすというほぼ無気力試合となります。
結果から言うとセネガルは点を取れず、コロンビアと日本がグループリーグを突破します。
駆け引きに勝ったのですが、後味は悪い結末でした。
状況は違いますが、2015年ラグビーワールドカップで日本が最終局面で勝ちにこだわりトライを狙いに行ったことと真逆でしたので、モヤモヤした気持ちが残りました。
いずれにしてもこの経験は滅多にできない経験なので、このときの代表選手は監督になったときの引き出しが増えることは間違いないです。
ましてやキャプテンとして作戦遂行した【長谷部誠】は経験値得まくりのレベルアップしまくりです。
さながらキングメタルを倒したときのように。
冒険はまだ続きます。
ベスト16の相手は【ケヴィン・デ・ブライネ】【ロメル・ルカク】などトップスターを要する強豪ベルギー。
前半は0対0でしのぎます。
そして後半、日本代表は【原口元気】と【乾貴士】のゴールで2点奪います。
過去、オーストラリアやコートジボワールに1点先制し逆転されていますが、2点奪って逆転されたケースはありませんでした。
しかし、試練というか悪夢が訪れます。
後半20分にベルギーが二人同時に交代します。
高身長の【マルアン・フェライニ】と【ナセル・シャドリ】。
投入直後の後半24分に1点ベルギーが奪います。
さらに後半29に【マルアン・フェライニ】のヘッドが炸裂し同点に追いつかれます。
対して日本は後半36分に二人同時に交代します。
【山口蛍】と【本田圭佑】。
延長濃厚と思われた、最後の最後でドーハの悲劇以来の悲劇が訪れます。
ドーハの悲劇と同じようにコーナーキックが悲劇の引き金です。
状況としてはドーハの悲劇は相手のコーナーキック、今回は日本のコーナーキック。
ラストチャンスはシュートで終われば仮に決まらなくても延長戦に行きます。
しかし、途中交代で投入された【本田圭佑】のキックはベルギーのゴールキーパー【ティボ・クルトゥワ】がキャッチし素早く味方にスローイング。
【ケヴィン・デ・ブライネ】が持ち込み右前方にパス。
中央にゴロで折り返す。
ストライカーでありエースの【ロメル・ルカク】がまさかのスルー。
【ナセル・シャドリ】が日本代表と日本列島のみんなを地獄に落とす逆転ゴール。
結果論になってしまうかもしれませんが、同点も逆転も交代選手が決めているベルギーはベンチワークも含めて一枚上手だったのかもしれません。
【長谷部誠】にとって酸いも甘いも経験した濃厚なワールドカップでした。
3回のワールドカップで得たいろいろな経験は監督になったときの引き出しの多さに確実に反映されることでしょう。
「マイアミの奇跡」と「ロストフの悲劇」を経験した「西野朗監督」。
「ドーハの悲劇」と「ロストフの悲劇」を経験した「森保一監督」。
そして「ロストフの悲劇」と「〇〇の歓喜(ワールドカップ優勝を達成したときの言葉)を未来に経験する「長谷部誠監督」を応援します。
やんちゃ坊主から皇帝へ【クラブチーム】
遅咲き【藤枝東】
【長谷部誠】は静岡の名門「藤枝東」に一般入試で入学します。
「藤枝東」は公立進学校のため、一般入試で合格したということは、かなりの学力があったのだと思います。
1年生からバリバリのレギュラーだったわけではなく2年生の終わりごろからレギュラーになります。
1学年下の【成岡翔】がユース世代の日本代表として活躍していたため、正直高校時代の【長谷部誠】の印象はほぼありませんでした。
静岡県内の清水エスパルスやジュビロ磐田からの誘いもなく、文武両道でもあるので大学進学も視野に入れていたと思いますが、静岡県選抜のプレーが浦和レッズのスカウトの目に止まります。
そして「浦和レッズ」でプロの一歩を踏み出します。
トップ下からボランチへ【浦和レッズ】
Embed from Getty Images【長谷部誠】は浦和レッズでさまざまな経験をします。
1年目はカップ戦1試合のみ経験します。
2年目はトップ下やボランチとしてリーグ戦、カップ戦含め38試合経験します。
3年目は【鈴木啓太】とダブルボランチを結成しセカンドステージ優勝を経験します。
Jリーグがファーストステージとセカンドステージに分かれていた最後のチャンピオンシップを経験します。
チャンピオンシップの敗退も経験します。
Jリーグニューヒーロー賞とリーグ年間ベストイレブンも経験しています。
4年目は天皇杯で優勝を経験します。
5年目は天皇杯優勝と富士ゼロックスカップ優勝とJリーグ優勝を経験します。
6年目はアジアチャンピオンズリーグ優勝を経験します。
FIFAクラブワールドカップでは準決勝で「ACミラン」との対戦し【カカ】【クラレンス・セードルフ】【アンドレア・ピルロ】【ジェンナーロ・ガットゥーゾ】と中盤でガッツリ戦うことを経験します
【長谷部誠】は「浦和レッズ」で濃密な6年間を過ごしてヨーロッパに旅立ちます。
【カカ】【クラレンス・セードルフ】【アンドレア・ピルロ】【ジェンナーロ・ガットゥーゾ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
中田英寿以来の5大リーグ優勝【ヴォルフスブルク】
Embed from Getty Images【長谷部誠】のヨーロッパデビューはドイツの「ヴォルフスブルク」です。
正直、このチームは【長谷部誠】が入団するまで知りませんでした。
鬼軍曹「フェリックス・マガト監督」もこのタイミングで知ることとなります。
最近見た「伝説の試合1986年ワールドカップ決勝」の西ドイツの10番を【フェリックス・マガト】が着けていた時はびっくりしました。
1年目はシーズン途中の1月に合流し、5位で終えます。
この時期にドイツ語をまたたくまに覚えます。
藤枝東時代に文武両道で鍛えた頭のよさとコミュニケーション能力がヨーロッパでも生かされます。
そして、2年目に飛躍の時を迎えます。
名門バイエルンミュンヘンに勝ち点2差で「ヴォルフスブルク」初優勝に貢献します。
ときにはボランチで、ときには右サイドハーフで、ときには右サイドバックで獅子奮迅の活躍を見せます。
5大リーグでの優勝は【中田英寿】がローマで優勝した時以来です。
3年目は世界最高峰のリーグ、チャンピオンズリーグを経験します。
グループリーグで敗退しますが【ウェイン・ルーニー】などが所属していた「マンチェスター・ユナイテッド」など強豪との真剣勝負を経験します。
5年目には5大リーグ初の日本人ゴールキーパーを経験します。
交代枠を使ったあとのゴールキーパーが退場したからです。
6年目、7年目はボランチとしてよりサイドハーフやサイドバックの起用が増えたため、移籍をすることとなります。
【ウェイン・ルーニー】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
新境地リベロが開眼し皇帝拝命【フランクフルト】
Embed from Getty Images【長谷部誠】は「ヴォルフスブルク」退団後「ニュルンベルク」を経由し「フランクフルト」に入団します。
移籍1年目は適正ポジションでもあるボランチで起用され、リーグ戦34試合中33試合に出場します。
2年目は監督が交代し右サイドバックでの起用が増え、それとともにチームも低迷します。
チームが低迷したことで転機が訪れます。
監督の途中交代です。
「ニコ・コバチ監督」が就任すると【長谷部誠】はボランチに戻り、入れ替え戦に望むリーグ16位で終えます。
負けたら2部リーグに降格です。
【長谷部誠】にとって入れ替え戦は初めての経験でもあり、相手は古巣の「ニュルンベルク」。
在籍時に怪我で思ったようなプレーができず、「ニュルンベルク」が2部降格してしまったた一因となる負い目があります。
その「ニュルンベルク」が再度1部リーグに昇格できるかどうかの戦いなので【長谷部誠】にとっても複雑な胸中であったことは想像にかたくないです。
結果は【長谷部誠】がホームとアウェイの2試合フル出場し「フランクフルト」が残留します。
【長谷部誠】は試合後に語ります。
「2年前このチームが降格したときに関わっていた一選手として、心の底から本当に喜ぶという感覚が沸いてこない」
3年目にまたしても転機が訪れます。
ボランチでもサイドバックでもなく3バックの中央で起用されます。
リベロと呼ばれ、基本的には最終ラインで守備をしますが、機を見て中盤や前線に上がるので戦術理解が高くリーダーシップがある選手しかできないポジションとも言われています。
ドイツには【フランツ・ベッケンバウアー】【ローター・マテウス】【マティアス・ザマー】など歴代屈指のプレーヤーがいるポジションです。
【長谷部誠】はこのポジションが天命であったかのように活躍します。
4年目はドイツカップ決勝で「バイエルン・ミュンヘン」を倒し優勝します。
5年目はリーグ戦は7位でしたが、ドイツ専門誌「キッカー」の年間ベストイレブンに選出されました。
UEFAヨーロッパリーグでも準決勝に進んだため、優秀選手に選出されました。
7年目には契約延長のタイミングで、引退後のクラブのアドバイザーに就任することが決まります。
そしてこの年には、ブンデスリーガのアジア人史上最多となる309試合出場も果たします。
8年目はヨーロッパでタイトルを獲得します。
チャンピオンズリーグの次のカテゴリーとなるUEFAヨーロッパリーグです。
「レンジャーズ」との決勝で後半13分から途中出場し、途中からキャプテンマークも巻き優勝の瞬間を迎えます。
9年目はドイツのカップ戦で【鎌田大地】の得点をアシストし、これが最年長アシスト記録となります。
10年目はクラブ最年長出場記録をうちたてたり、外国人出場記録2位(通算384試合)をうちたてたりして現役引退をします。
【長谷部誠】がブンデスリーガで優勝、降格、残留とあらゆる状況を経験し、さらにヨーロッパのリーグ戦で優勝したことは、監督になったときの引き出しの多さに確実に反映されることでしょう。
【ローター・マテウス】【マティアス・ザマー】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
まとめ
Embed from Getty Imagesいかがでしたでしょうか。
【長谷部誠】は代表チームでもクラブチームでも伝説的選手になりました。
元日本代表監督のトルシエ監督が「10人の明神がいれば試合に勝てる」と冗談交じりに言ったが、僕はこう言います。
「10人の長谷部誠がいればワールドカップで優勝できる」
【長谷部誠】が日本代表監督になった暁にはそんな未来が来るかもしれません。
【長谷部誠】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【アンドレス・イニエスタ】です。
Embed from Getty Imagesここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
僕が読んで気に入ったものだけを厳選していますので、興味のある皆様はポチっとお願いします。
サッカーをプレーする皆様はこちら
サッカーを指導する皆様はこちら
体の動かし方を理屈で理解したい皆様はこちら
しなやかな体を手に入れたい皆様はこちら
サッカーの戦術マニアはこちら
世界のサッカー小僧のバイブル
ファンタジスタの見える景色を知る漫画
生きる道を模索する青春漫画
監督視点の漫画と思いきや選手の成長漫画
プロを目指す選手のもがき苦しみつつも楽しむ様子を描いた漫画
ストライカー育成漫画
コメント