どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手は日本の【中田英寿】です。※敬称略
Embed from Getty Images2020年5月にブログを初めて100人目の選手です。
「 中田英寿ってウイイレ、イーフットボール、サカつくなどのサッカーゲームでレジェンド枠でよくでてくるけどどんな選手だったの?」
「中田英寿の代表チームやクラブチームでの活躍を面白おかしく教えて!!」
と思ったあなたへお届けします。
この記事を読んでいただければ、【中田英寿】のプレースタイルと数値化された6つの能力(オフェンス、ディフェンス、テクニック、パワー、スピード、スタミナ)を知ることが出来ます。
さらに代表チームとクラブチームそれぞれのパートに分けて活躍を知ることでファンになること間違いなしです。
選手プロフィールと下記3つを軸に語っていきますので、10分ほどお時間をください。
- プレースタイルと能力【パラメータ】
- 28年ぶりのオリンピック出場とワールドカップ初出場【代表チーム】
- ローマの栄冠とその後の苦悩【クラブチーム】
四の五の言わずに実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。
プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。
選手プロフィール
- 名前:中田英寿
- 国籍:日本
- 生年月日:1977年1月22日
- 身長・体重:175cm72kg
- 利き足:右足
- ポジション:ミッドフィルダー
- 代表歴:77試合(11得点)
- ワールドカップ出場:1998年、2002年、2006年
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1995 – 1998 | ベルマーレ平塚 | 85 | (16) |
1998 – 2000 | ペルージャ | 48 | (12) |
2000 – 2001 | ASローマ | 30 | (5) |
2001 – 2004 | パルマ | 67 | (5) |
2004 | → ボローニャ (loan) | 17 | (2) |
2004 – 2006 | フィオレンティーナ | 20 | (0) |
2005 – 2006 | → ボルトン (loan) | 21 | (1) |
通算 | 288 | (41) |
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』中田英寿
プレースタイルと能力【パラメータ】
Embed from Getty Images【中田英寿】の能力を表すパラメータがこちらです。
- オフェンス:16
- ディフェンス:12
- テクニック:17
- パワー:16
- スピード:13
- スタミナ:17
- 総合力:91
出典: WORLD CLUB Champion Football セガ
【中田英寿】は攻撃的ミッドフィルダーで活躍しました。
1歳年下に【中村俊輔】、2歳年下に【小野伸二】がいますがどちらともタイプが違います。
テクニックよりフィジカルが強く、当時最強リーグと呼ばれたイタリア「セリエA」のディフェンダーにも当たり負けしません。
数値に現れない視野の広さも見逃せません。
常に首を振って、刻一刻と変わるピッチの状況を頭に入れ、「得点の匂いがする場所」にパスを出します。
当時、デジタルテレビがなかったので画像は今より粗かったのですが、首の動きをみれば【中田英寿】を見つけることができました。
【中村俊輔】【小野伸二】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
28年ぶりのオリンピック出場とワールドカップ初出場【代表チーム】
Embed from Getty Images【中田英寿】はあらゆるカテゴリーで世界の扉を開け続けました。
ひとつずつ見ていきましょう。
世界を知った【アンダー17世界選手権】
最初の扉はアンダー17世界選手権です。
1993年に日本で開催された大会に【宮本恒靖】【松田直樹】【戸田和幸】などとともに参加しました。
グループリーグは突破しましたが準々決勝で【ヌワンコ・カヌ】率いるナイジェリア代表に2対1で敗れます。
圧倒的なスピードとフィジカルの差を感じ、世界を知ることとなります。
【ヌワンコ・カヌ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
続世界を知った【アンダー20世界選手権】
次の扉はアンダー20世界選手権です。
この大会は飛び級として【松田直樹】とともに参加しました。
グループリーグは【中田英寿】の2ゴールなどで突破しましたが、準々決勝でブラジル代表に2対1で敗れます。
グループリーグ以降の一発勝負ではまたしても勝利をすることが出来ず、世界を知ることとなります。
ちなみにグループリーグではスペインの【ラウル・ゴンサレス】の一撃で負けています。
世界一の「レアルマドリード」でデビューしている逸材と同じピッチで戦っています。
【ラウル・ゴンサレス】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
28年ぶりに世界の扉を開いた【アトランタオリンピック予選】
今ではオリンピックにサッカーの代表が出場することは当たり前になっていますが、1996年アトランタオリンピックまでは悲願でした。
未だに破られていないサッカー男子の最高記録である1968年メキシコオリンピック以来、メダルはおろか出場も出来ていない状況が28年続いていました。
1996年アトランタオリンピックに向けて「西野朗監督」は2つの世代の融合を迫られます。
年長組の【川口能活】【前園真聖】【小倉隆史】【城彰二】などと、アンダー17で実績を残した年少組です。
年少組からは【中田英寿】【松田直樹】が飛び級で参加しました。
前線の【前園真聖】【小倉隆史】【城彰二】は高校サッカーでも活躍したため、そこに【中田英寿】がどう絡むかが注目ポイントです。
残念ながら代表合宿中に【小倉隆史】が選手生命に影響を及ぼす大怪我をしたため離脱します。
結果、【前園真聖】【城彰二】【中田英寿】が攻撃トリオを組むこととなります。
アジア最終予選のハイライトはサウジアラビア戦です。
勝てば28年ぶりにオリンピック出場がかかる大一番。
【中田英寿】はベンチからのスタートでした。
いまでも親友であるエース【前園真聖】が先制点と追加点をあげ2点リードします。
その後サウジアラビアの猛攻が始まりますが、守護神【川口能活】の神がかり的なセーブもあり2対1で勝利します。
途中出場の【中田英寿】も攻守に貢献します。
いざ本番へ。
マイアミの奇跡と得失点差の悪魔【アトランタオリンピック本戦】
Embed from Getty Imagesアトランタオリンピックの初戦はブラジルです。
当時100回戦っても1回も勝てないと言われたサッカー王国です。
しかも1996年当時ワールドカップは最多の4回優勝していましたが、オリンピックは優勝したことがなかったため、本気のメンバーです。
サッカーのオリンピックは原則23歳以下で構成されており3人だけオーバーエイジとして参加できます。
そのオーバーエイジは【ベベト】【アウダイール】【リバウド】です。
他にも【ロベルト・カルロス】や【ロナウド】などレジェンド級がずらり揃っていました。
【ロベルト・カルロス】【ロナウド】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
この試合は結果的に【伊東輝悦】の決勝ゴールと【川口能活】【松田直樹】を中心とした守備の奮闘で1対0で勝ち、マイアミの奇跡とよばれます。
しかし【中田英寿】は納得はしていません。
守備的な戦術と偶然による得点で勝つことが価値観に反していたからです。
2戦目のナイジェリアも守備に時間を割かれたため、ハーフタイムに勇気を持って守備ラインをあげるように言うが却下されます。
アンダー17世界選手権でナイジェリアについて身を持って知っていたので、守っている方が危ういことを分かっていました。
この意見は守備陣も監督も受け入れず、結果ナイジェリアの猛攻に耐えきれず2対0で敗れます。
【中田英寿】は自分の意見を言っただけでしたが、当時は監督に意見することは御法度とされていたので、最終戦のハンガリー戦は先発から外されることとなります。
【中田英寿】の初めてのオリンピックはここで事実上の終わりを告げます。
ハンガリーには3対2で勝利しますが、2勝1敗でブラジルとナイジェリアと並び得失点差で3位となりグループリーグ敗退となります。
当時の監督は後の2022ロシアワールドカップで監督となる「西野朗監督」です。
ここでの選手起用や得失点差による敗退は大きな経験値となったことはいうまでもありません。
加茂監督更迭からのジョホールバルの歓喜【フランスワールドカップ予選】
Embed from Getty Images【中田英寿】は世界の扉を一つずつ開け、残るはワールドカップです。
日本は過去一度も出場したことはありませんが、【中田英寿】はすべてのカテゴリーで世界を見ているので、悲願ではなく現実的な目標としてとらえていました。
しかし、サッカーの神様はそう簡単には出場させてくれません。
日本は、カザフスタン、ウズベキスタン、韓国、UAEと同じグループに入り、最低でも2位以内に入らなくてはいけません。
1位は無条件通過。
2位はもう一組の2位と対決し勝てば通過。
負ければプレーオフの相手に勝てば通過。
そんなヒリつく試合が続くワールドカップ最終予選に若干20歳の【中田英寿】はレギュラーで起用されました。
初戦勝利。2戦目で負け。3戦目は引き分け。この時点で3位。
もう後がない日本サッカー協会は決断しました。加茂監督の「更迭(こうてつ)」を。
そして当時コーチだった「岡田武史」を監督に昇格させました。
クラブチームの監督経験もなくまだ41歳でした。
「絶対に負けられない戦い」が続く状況でしたがプレッシャーのかかる中【中田英寿】は起用され続けます。
4戦目引き分け。5戦目引き分け。6戦目勝ち。7戦目勝ち。
3勝1敗4分けの勝ち点13で辛くも予選2位で突破。
チーム | 勝点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
韓国 | 19 | 8 | 6 | 1 | 1 | 19 | 7 | 12 |
日本 | 13 | 8 | 3 | 4 | 1 | 17 | 9 | 8 |
アラブ首長国連邦 | 9 | 8 | 2 | 3 | 3 | 9 | 12 | -3 |
ウズベキスタン | 6 | 8 | 1 | 3 | 4 | 13 | 18 | -5 |
カザフスタン | 6 | 8 | 1 | 3 | 4 | 7 | 19 | -12 |
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』1998 FIFAワールドカップ・アジア予選
【中田英寿】の真骨頂はここからです。
もう一つのグループ「イラン」とジョホールバルで激突します。
勝てば文句なしでワールドカップ出場です。
前半39分に試合が動きます。
【中田英寿】のスルーパスに【中山雅史】が反応し先制点を奪います。
しかしドーハの時と同様にサッカーの神様は試練を与えます。
後半開始直後にイランは【アリ・ダエイ】を起点に【アジジ】が同点ゴールを決めます。
さらに後半14分、【アリ・ダエイ】が逆転ゴールを決めます。
後がない日本は、【三浦知良】と【中山雅史】を下げ【城彰二】と【呂比須】を投入します。
この岡田監督の采配がズバリ当たります。
アトランタオリンピックからの盟友【城彰二】に【中田英寿】のパスがピタリとあい同点に追いつきます。
延長はゴールデンゴール方式と言って点が入った瞬間試合が終わるルールでした。
岡田監督は切り札の「野人」こと【岡野雅行】を投入します。
足が早い【岡野雅行】はスピードの早いパスを送る【中田英寿】との相性はバッチリです。
しかし、チャンスは多いが決めきれずこのままPK戦にもつれ込むかと思った瞬間、【中田英寿】が力強くドリブルを開始します。
そして渾身の力を込めたミドルシュートを打つとキーパーに弾かれますが、いち早くこぼれ球に反応した【岡野雅行】がゴールを決め、フランスワールドカップの切符を手にしました。
すべてのゴールに絡んだ【中田英寿】が世界の重い扉をこじあけた瞬間です。
世界の壁の厚さをリアルに知る【フランスワールドカップ本戦】
Embed from Getty Images本戦と予選は別物です。
アトランタオリンピックの時と同様、相手は格上だらけなので必然的に守備に力をいれざるを得ません。
岡田監督は迷いに迷い断腸の思いで【三浦知良】を選ばないことを決めます。
結果、次世代と思われていた【中田英寿】【城彰二】が日本のエースとして期待されることとなります。
初めて望んだワールドカップは3連敗で終わります。
すべて1点差の負けですが、世界の壁の厚さを知ることとなります。
黄金世代と望んだ【シドニーオリンピック】
日韓ワールドカップの前にシドニーオリンピックがあります。
前回飛び級で参加していた【中田英寿】はオーバーエイジではなくアンダー23のカテゴリー枠で参加します。
1999ワールドユース準優勝メンバーや【中村俊輔】などもおり、史上最強メンバーで挑みました。
グループリーグは2勝1敗で勝ち抜き、準々決勝はアメリカと対戦します。
先制点。同点。勝ち越し点。同点。
2対2のままPKへ。
惜しくも敗退。
「PKの苦い思い出」はこのときからあります。
日本中を熱狂の渦に巻き込んだ【日韓ワールドカップ】
Embed from Getty Images【中田英寿】の2度目のワールドカップは地元日本で開催されました。
【中村俊輔】の落選があり、トップ下は【中田英寿】です。
「トルシエ監督」は両雄は並び立たずと判断したということです。
そんな中【中田英寿】は持ち前の視野の広さ、キープ力、スルーパスでチームを牽引します。
【稲本潤一】【小野伸二】【中田浩二】などのワールドユース準優勝組や各年代での盟友【宮本恒靖】【松田直樹】などもうまく噛み合い、グループリーグを2勝1分の首位で勝ち抜きます。
ワールドカップでの初勝利、初グループ勝ち抜けの扉を開け新しい景色をみせてくれた一人が【中田英寿】であることは間違いありません。
決勝トーナメント1回戦ではトルコに1対0で負け、2度目のワールドカップはやや不完全燃焼で終わります。
ちなみにチュニジア戦では珍しいヘディングゴールを決めます。
引退の決意を胸に臨んだ【ドイツワールドカップ】
Embed from Getty Images「ジーコ監督」が理想とした黄金の中盤は最後まで輝くことはありませんでした。
チームづくりの大変さを思い知った大会でもありました。
【中田英寿】はこの時29歳。
周りの誰もがこの大会を最後に引退するとは思っていませんでした。
初戦はオーストラリア。
先制点を上げるも逆転されます。
しかも3対1での負けなので、得失点差的にも崖っぷちに立たされました。
2戦目はクロアチア。
ワールドカップではなぜかいつも立ちふさがります。
負けに等しい引き分け。
最終戦はブラジル。
1996年のオリンピックの初戦で戦ったチームと10年越しで戦う。
相手はグループリーグを突破していたため、ある意味消化試合。
それでもブラジルは強く、結果は4対1で負け。
【中田英寿】はサッカー選手の幕を閉じ旅人となりました。
ローマの栄冠とその後の苦悩【クラブチーム】
【中田英寿】は好奇心旺盛の旅人気質です。
それはクラブチームの変遷でもわかります。
すべては紹介できませんが順に見ていきましょう。
プロデビューは特徴を持った選手が集結した【ベルマーレ平塚】
Embed from Getty Images当時のJリーグは12チームあり11チームからオファーがあり、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)を選びます。
【中田英寿】加入の1995年の前年にJリーグ昇格し、野心を持った勢いがあるチームです。
ゴールキーパー【小島伸幸】、ディフェンスは【名塚善寛】を中心に【渡辺卓】【名良橋晃】【岩本輝雄】、中盤に【田坂和昭】【エジソン】【ベッチーニョ】、フォワード【野口幸司】【ベッチーニョ】。
【中田英寿】はこのチームでトップ下として順調に成長し、チームの中心になります。
日本代表に呼ばれることとなりアトランタオリンピック、フランスワールドカップに出場します。
世界デビューはセリエAのプロビンチャ【ペルージャ】
Embed from Getty Images1998年は日本サッカーの転機です。
ワールドカップに出場し、世界の壁を感じ、選手も世界に飛び出し始める年です。
【中田英寿】は当時世界最強リーグとよばれたイタリアのセリエAの「ペルージャ」に入団します。
このチームもベルマーレ平塚同様に、下部リーグから昇格し挑戦する立場の野心を持ったチームです。
開幕戦はイタリアの名門「ユベントス」です。
【アレッサンドロ・デルピエロ】【フィリッポ・インザーギ】【ジネディーヌ・ジダン】【ディディエ・デシャン】【エドガー・ダービッツ】などスター揃いでした。
【デルピエロ】【インザーギ】【ジダン】【デシャン】【ダービッツ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
前半3対0と格の違いを見せられますが、牙を研ぎ続ける獣が一人います。
【中田英寿】は後半6分、角度のないところから右足を振り抜き名手【アンジェロ・ペルッツィ】の脇を抜けてゴールを決めます。
これで終わりではありません。
後半14分、コーナーキックのこぼれ球をダイレクトで打ち抜き2ゴール目を決めます。
開幕戦でユベントス相手に2ゴールを上げたことで敵も味方もサポーターも虜にしました。
これがユベントスキラーと呼ばれるきっかけとなります。
その後のシーズンもゴールを決め、デビューシーズンで10得点を決める快挙を成し遂げます。
一番印象に残っているのはオーバーヘッドキックです。
やや斜め後ろからのパスをダイレクトで決めたシュートをテレビの前で絶叫したのはいい思い出です。
バンディエラであるトッティとの争い【ASローマ】
Embed from Getty Imagesペルージャでの活躍もあり「ローマ」へ移籍します。
カペッロ監督率いるローマは、フォワードに【ガブリエル・バティストゥータ】【ヴィンチェンツォ・モンテッラ】、ミッドフィルダー【エメルソン】、【ダミアーノ・トンマージ】、ディフェンダーに【ワルテル・サムエル】、【ザーゴ】、【カフー】【ヴァンサン・カンデラ】など戦力は申し分ありませんでした。
タクトを振るうのが【フランチェスコ・トッティ】です。
【バティストゥータ】【トッティ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
ピッチ外のカペッロ監督も厳格で知られていますが、この個性派集団をまとめるのはローマ一筋の【トッティ】です。
そしてカンフル剤が【中田英寿】です。
日本人からみれば共存してほしかったですが、外国人枠(EU圏外は3人)とエース【トッティ】を先発から外すことは出来ないため、途中出場が多かったのも事実です。
しかし牙を研ぎ続けた【中田英寿】は最高の場面で結果を出します。
悲願の優勝を果たすには「絶対に負けられない戦い」のユベントスとの大一番です。
残り5試合で勝ち点6差のため、勝てば優勝に近づき、負ければ一気に差が縮まります。
0対2で追い詰められたローマは、勝負の一手を打ちます。
チームのキャプテンでエースの【トッティ】に変わり【中田英寿】を投入します。
点を取ると決めた【中田英寿】の気迫はとんでもないです。
そして伝説が始まります。
まずはミドルシュートを突き刺します。
【中田英寿】の口元がテレビに写りはっきり「ヨッシャー」と叫んでいます。
もう一丁ミドルシュートを打ちます。
ゴールキーパーに弾かれますが、こぼれ球を【モンテッラ】が決め2対2に追いつきます。
勝ちに等しい同点です。
この結果もあり、日本人として初のセリエA優勝を果たします。
尚、セリエA優勝の瞬間に立ち会うために、日本代表として参加していた「コンフェデレーションズカップ」の決勝戦を辞退したことも伝説の一つです。
【中田英寿】はローマ所属は1年半でしたが、悲願のスクデットを獲得したヒーローの一人としていまだに語られるのはこの試合での活躍があったからこそです。
アトランタオリンピック以来のトライデント【パルマ】
Embed from Getty Imagesローマではスクデットを獲得しましたが、【トッティ】がいることもありチームの中心になることは無理と判断した【中田英寿】はパルマに移籍します。
背番号10を用意されており当時のアジア人最高記録の移籍金33億が期待の大きさを表しています。
ブラジルの【アドリアーノ】、ルーマニアの【ムトゥ】とトライデント(3本の槍)で構成し、一世風靡しました。
まとめ
Embed from Getty Imagesいかがでしたでしょうか。
【中田英寿】は代表チームでもクラブチームでも世界の扉を開け続け、世界で戦うメンタリティは脈々と受け継がれています。
いきなり名門チームに入団する可能性がありながら、試合に出て成長できる環境を冷静に見極めた慧眼こそが【中田英寿】の最大の特徴だったのかもしれません。
引退後に世界中を旅し、今は日本に戻り、日本酒を世界に広める活動をしています。
今もサッカー選手の時同様に世界の扉を開け続けているのかもしれません。
【中田英寿】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【フィリップ・コクー】です。
Embed from Getty Imagesここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
僕が読んで気に入ったものだけを厳選していますので、興味のある皆様はポチっとお願いします。
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