どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手は日本の【中村俊輔】です。
Embed from Getty Images今まですべて海外選手でしたが初の日本人選手です。
「 中村俊輔はどんな選手?」
「中村俊輔のエピソード教えて!」
と思っていただいたあなたへお届けします。
ちょいちょいぼくのエピソードも混じっていますが、お付き合いいただければ幸いです。
いきなりですが【中村俊輔】にキャッチフレーズをつけます。
永遠のファンタジスタ
「シルエットだけでわかる稀有の存在」
なぜこのキャッチフレーズをつけたのか【中村俊輔】のすごいぞポイント3つを軸に語っていきますので、しばしお付き合いください。
いち早く実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。
プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。
- プレースタイル「ファンタジスタ」
- 海外の伝説「レッジーナとセルティック」
- 日本代表の栄光と挫折
選手プロフィール
- 名前:中村俊輔
- 国籍:日本
- 生年月日:1978年6月24日
- 身長・体重:178cm71kg
- 利き足:左足
- ポジション:MF(ミッドフィルダー)
- 主な所属チーム:横浜マリノス、レッジーナ、セルティック
- 代表歴:98試合(24得点)
- ワールドカップ出場:2006年、2010年
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1997-2002 | 横浜マリノス/横浜F・マリノス | 148 | (33) |
2002-2005 | レッジーナ | 81 | (11) |
2005-2009 | セルティック | 128 | (29) |
2009-2010 | エスパニョール | 13 | (0) |
2010-2016 | 横浜F・マリノス | 190 | (35) |
2017-2019 | ジュビロ磐田 | 48 | (5) |
2019-2022 | 横浜FC | 32 | (1) |
【中村俊輔】の能力を表すパラメータがこちらです。
- オフェンス:16
- ディフェンス:10
- テクニック:19
- パワー:13
- スピード:13
- スタミナ:15
- 総合力:86
出典: WORLD CLUB Champion Football セガ
出会い
【中村俊輔】との出会いは、全国高校サッカー選手権です。
1996年度に開かれた第75回の大会です。(1996年12月30日から1997年1月10日まで開催。)
当時は、Jリーグのユースチームより高校の部活のチームの方が人気も実力もありました。
その頂点を争う決勝戦で、【中村俊輔】率いる神奈川の「桐光学園」対【北嶋秀朗】率いる「市立船橋」が戦うこととなります。
キャプテン翼世代の僕としては「大空翼」率いる「南葛中学」対「日向小次郎」率いる「東邦学園」を思い出しました。
結果は総合力に勝る「市立船橋」が勝つこととなりますが、【中村俊輔】がプロで活躍する未来が見えた瞬間でした。
ちなみに、【稲本潤一】がユース選手として高校世代のままJリーグデビューすることとなります。
1997年は高校サッカーからJリーグユースチームへの転換期です。
Embed from Getty Imagesすごいぞポイント3つ
プレースタイル「ファンタジスタ」
【中村俊輔】のプレースタイルは「ファンタジスタ」です。
1994年アメリカワールドカップでイタリアの【ロベルト・バッジョ】でファンタジスタを知り、日本にいつか現れないかと思ったら現れました。
日本に中盤に良い選手が多いのは「キャプテン翼」の影響だ、とよく言われますがまさに【中村俊輔】はそうです。
攻撃的ミッドフィルダーでタクトを振るい、時には味方を使い、時には自らゴールを決める、そんなところにしびれて憧れます。
【中村俊輔】の2学年上に【中田英寿】、一学年下に【小野伸二】もいましたが、ファンタジスタを一人選べといえばどうしても【中村俊輔】と言わざるをえません。
詳しいプレーに関しては、後ほど語ります。
【ロベルト・バッジョ】【中田英寿】【小野伸二】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
海外の伝説「レッジーナとセルティック」
【中村俊輔】は横浜マリノスで活躍した後に海外挑戦をしています。
「レッジーナ」、「セルティック」、「エスパニョール」の3チームで挑戦しています。
順番に見ていきましょう。
最初の移籍先はイタリアセリエAの「レッジーナ」です。
1980年代から1990年代は世界最強リーグと呼ばれており、2000年代前半も最強リーグの一角であり、特に守備の国イタリアのため、攻撃的選手には過酷なリーグです。
今の日本人選手はセリエAへの移籍は少ないですが、当時は【中田英寿】の活躍もあり、日本人選手のイタリアでの評価は高かった記憶があります。
そんな中、2002年日韓ワールドカップの出場を逃した【中村俊輔】は「レッジーナ」に移籍します。
名門チームではなく、残留争いをする下位チームです。
しかし背番号10を【中村俊輔】に託し救世主として期待していました。
その期待に応え【中村俊輔】は、初年度から得意のフリーキックやスルーパスを駆使し7得点を挙げます。
激しい守備をかいくぐるキープ力も見逃せません。
ボールを受ける前に周りの状況を確認し、相手が嫌がるところにピンポイントで出すスルーパスは相手も味方もテレビで見ている僕も意表をつかれる事だらけでした。
毎週、【中村俊輔】と【中田英寿】のプレーを見るのを楽しみにしていたのが、良い思い出です。
【中村俊輔】がレッジーナに所属していたのは3シーズンですが、2005年に歴代ベストイレブンに選ばれるほどインパクトを残しました。
Embed from Getty Images次の移籍先はスコットランドの名門「セルティック」です。
2022-2023年シーズンは【古橋亨梧】、【前田大然】、【旗手怜央】などが所属しており、日本でも知名度がある名門中の名門です。
2004年に伝説の選手【ラーション】が去り、2位に甘んじていた「セルティック」に2005年に鳴り物入りで【中村俊輔】が加わります。
【中村俊輔】は背番号は25を選びます。
10にこだわりがあるので2かける5が10になるので25を選んだと言われています。
背番号25の先駆者として【バッジョ】の同世代として活躍した【ゾラ】がいます。
すくなからず【ゾラ】の影響を受けたのだと思います
【ラーション】【ゾラ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
「セルティック」に移籍した【中村俊輔】は、よりクリエイティブな能力を発揮します。
「レッジーナ」時代は下位チームだったため、必然的に守備の時間が多く少ない攻撃時間で能力を発揮せざるをえませんでした。
一方「セルティック」は「レンジャーズ」と並びスコットランドの2大ビッグクラブです。
逆に攻撃時間が多くなり、周りも一流選手がそろっています。
周りも活かすプレーをしながら時には自分でシュートを決めきり、瞬く間に「セルティック」のアイドルとなります。
相手ゴールキーパーが手も足も出ないシュートは一度や二度ではありません。
【中村俊輔】が、ヨーロッパで伝説化したのはチャンピオンズリーグのマンチェスター・ユナイテッド戦での2ゴールです。
時は2006-07年シーズンまで遡ります。
2006年9月13日、場所はマンチェスター・ユナイテッドのホームスタジアム「オールド・トラッフォード」です。
チャンピオンズリーグデビュー戦の【中村俊輔】は、1点負けている状況でゴール正面やや右の位置でフリーキックを蹴ります。
いつものフォームで蹴り出されたボールは美しい軌跡を描き、【ファン・デル・サール】が守るゴールをこじ開けます。
【中村俊輔】は2006年11月21日も、同じく美しい軌跡を描いたフリーキックを【ファン・デル・サール】から決めます。
この2本は日本とスコットランドだけでなく世界中のサッカーファンの間で伝説となっており、歴代フリーキックのランキングに必ずと行っていいほど入ります。
当然【中村俊輔】も凄いのですが、あの【ファン・デル・サール】を手玉にとったことが今なお伝説となっているのだと思います。
逆に言えば、マンチェスター・ユナイテッドのゴールキーパーが【ファン・デル・サール】でなかったのならば、【中村俊輔】も伝説化されなかったのかもしれません。
信じるか信じないかはあなた次第です。
「レッジーナ」の成功から満を持して【中村俊輔】はスペインリーグに挑戦します。
中堅チームの「エスパニョール」です。
ブラジルの怪物【ロナウド】を最も活かしたファンタジスタ【デ・ラ・ペーニャ】がいた時代です。
結果的には、思うような活躍はできませんでしたが、その後の横浜マリノス復帰後の活躍から無駄ではなかったのだと思います。
【ファン・デル・サール】【ロナウド】【デ・ラ・ペーニャ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
Embed from Getty Images日本代表の栄光と挫折
【中村俊輔】は日本代表で長らく活躍しました。
栄光と挫折を両方味わっています。
まずは1998年、日本が初めてワールドカップに出場した年です。
「岡田監督」は本番に向けて若手発掘も積極的にしていました。
17歳の【市川大祐】、18歳の【小野伸二】、19歳の【中村俊輔】です。
【小野伸二】のみ本大会に行くこととなります。
次は2000年です。
シドニーオリンピックでベスト8に進出し、フル代表として参戦するアジアカップに出場します。
ここでも不遇を味わいます。
【中村俊輔】の本来のポジションのトップ下ではなく352のフォーメーションの左サイドのウイングバックとして「トルシエ監督」は起用します。
基本的にはウイングバックは上下動を基本とするため、使うより使われる側の選手が起用されることが多く、【中村俊輔】のプレースタイルとは真逆でした。
そこに手を差し伸べたのが同じ左利きでゲームメーカーである【名波浩】です。
【名波浩】も本来はトップ下でしたが、日本代表ではボランチの役割を課されていたため、【中村俊輔】の気持ちが痛いほど分かっていました。
監督が意図するところは別にして、頻繁にポジションチェンジをしてより中央でプレーする機会を増やすように努めていました。
そして一つの伝説的シュートが生まれます。
ペナルティエリアやや外からのフリーキックをゴールに向かって蹴るのではなく、真横に蹴ります。
【中村俊輔】から受けたパスを【名波浩】は左足でダイレクトシュートを放ち決めます。
まさにファンタジスタの共演で、今でも脳裏に焼き付いています。
そして2002年日韓ワールドカップ。
自国開催であり誰もが出たい舞台に上がることは出来ませんでした。
時代のアンマッチと言わざるをえません。
2006年ドイツワールドカップは黄金の中盤と呼ばれていましたが、機能することなく瓦解しました。
攻撃的な選手にいい選手がそろっているときほど、絶対的な守備ができる選手がいないといけない手本となりました。
銀河系軍団と言われた2000年代前半のレアル・マドリーの【クロード・マケレレ】のような存在です。
【ロナウド】【ラウル・ゴンサレス】【ジネディーヌ・ジダン】【ルイス・フィーゴ】は全員ワールドクラスですが、【マケレレ】がいなければ守備は崩壊し瓦解していました。
2022年カタールワールドカップは【遠藤航】がいるので安心です。
そして【中村俊輔】の最後の出場となる2010年ワールドカップです。
怪我の影響もあり、レギュラーから控えの立場になります。
しかし、くさることなく【川口能活】などともに練習やベンチから盛り上げベスト16に貢献します。
【ラウル】【ジダン】【フィーゴ】【マケレレ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
補足:背番号10の思い出
2006年ドイツワールドカップは現地で試合を見ました。
チケットを買ったときは「グループÇ1位対グループD2位」しか決まっておらず、ドイツに行ってから対戦相手が確定するという状況でした。
順当に行けば、Çグループはオランダかアルゼンチン、Dグループはポルトガルかメキシコが勝ち上がると思い、どの組み合わせでもよいから、波乱だけはおきるなという思いでドイツに行きました。
結果、アルゼンチン対メキシコとなりました。
アヤックスのユニフォームとアルゼンチン代表の背番号10のユニフォームは日本を出発する時にスーツケースに仕込んでいました。
さらに、日本代表の背番号10のタオルマフラーも同じくスーツケースに仕込んでいました。
試合の当日、ベルリンからライプツィヒに電車で移動後、駅から競技場まで徒歩での移動です。
人の群れが同じ方向に連なっているのを見て、その列にくっついていきます。
もちろんアルゼンチン代表の背番号10番のユニフォームを着て、更に日本代表の背番号10のタオルマフラーを首に巻いています。
【中村俊輔】と【中村俊輔】のアイドルでもある【マラドーナ】のコラボを意識しています。
競技場まで歩いている最中にメキシコ人と思われる方に声をかけられました。
「その日本のマフラーいいね、10番は最高だったよ。記念に俺のメキシコマフラーと交換してくれないか?アミーゴ。」
僕はスペイン語は一切わかりません。
ゼスチャーとパッションでそう感じました。
しかし、シャイな日本人である僕は、「ソーリー。」といってはにかんで断ることしかできませんでした。
背番号10の刺繍がなかったら交換していたかもしれないのですが、【中村俊輔】との思い出を渡したくなかったため、交換できませんでした。
試合ではのちにアルゼンチン代表の10番を背負うことになる若き【リオネル・メッシ】も見れました。
ちなみに、ライプツィヒからベルリンに戻る列車の中で、酔ったイングランドサポーターにからまれました。
アルゼンチン代表の背番号10番のユニフォームはイングランドサポーターから見ればゴッドハンドの【マラドーナ】を想起させるので、ブーイングを受けました。
これはこれでいい思い出です。(とくにしばかれていません。)
Embed from Getty Imagesまとめ
いかがでしたでしょうか。
【中村俊輔】が引退したため、急きょ語りました。
語り尽くすことが出来ない思い出ばかりのため、最長記事となりました。
今後同じような選手が現れることはないかもしれません。
フリーキックを蹴る姿は、シルエットだけでも分かります。
長い間プレーを見させていただきありがとうございました。
同じ左利きの【久保建英】には永遠のファンタジスタ【中村俊輔】を超えることができるか注目していきます。
【中村俊輔】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【ロビン・ファン・ペルシ】です。
お楽しみにしてください、またね。
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