【シュテファン・エッフェンベルク】代表を追放された悪童ファンタジスタ【伝説サッカー選手紹介#109】

好きなサッカー選手

どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。

今回紹介する伝説のサッカー選手はドイツの【シュテファン・エッフェンベルク】です。

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生徒
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「 シュテファン・エッフェンベルクってウイイレ、イーフットボール、サカつくなどのサッカーゲームでレジェンド枠でよくでてくるけどどんな選手だったの?」

「シュテファン・エッフェンベルクの代表チームやクラブチームでの活躍を面白おかしく教えて!!」

と思ったあなたへお届けします。

この記事を読んでいただければ、【シュテファン・エッフェンベルク】のプレースタイルを知ることが出来ます。

さらに代表チームとクラブチームそれぞれのパートに分けて活躍を知ることでファンになること間違いなしです。

選手プロフィールと下記3つを軸に語っていきますので、5分ほどお時間をください。

  1. プレースタイル
  2. 中指により代表追放された1994年アメリカワールドカップ【代表チーム】
  3. カンプノウの悲劇を乗り越えチャンピオンズリーグ優勝【クラブチーム】

四の五の言わずに実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。

プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。

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選手プロフィール

  • 名前:シュテファン・エッフェンベルク
  • 国籍:ドイツ
  • 生年月日:1968年8月2日
  • 身長・体重:188cm85kg
  • 利き足:右足
  • ポジション:ミッドフィルダー
  • 代表歴:35試合(5得点)
  • ワールドカップ出場:1994年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』シュテファン・エッフェンベルク

クラブ出場(得点)
1987-1990ボルシアMG73(10)
1990-1992バイエルン・ミュンヘン65(19)
1992-1994フィオレンティーナ56(12)
1994-1998ボルシアMG118(23)
1998-2002バイエルン・ミュンヘン95(16)
2002-2003ヴォルフスブルク19(3)
2003-2004アル・アラビ15(4)
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プレースタイル

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【シュテファン・エッフェンベルク】はドイツでは希少種の「ファンタジスタ」です。

「ファンタジスタ」とはシュートやパスやドリブルの攻撃プレーで観客を魅了する選手のことです。

イタリア語で創造を意味する「ファンタジア(fantasia)」が語源です。

【エッフェンベルク】はパスで試合を支配します。

ロングパス、ショートパスをおりまぜ、いつのまにか相手も味方も【エッフェンベルク】の手のひらで踊っています。

豊富なスタミナと188cmと長身をいかし、ファンタジスタには珍しく守備にも貢献します。

裏面には激しい闘争心があります。

闘争心はキャプテンシーにもつながり、チームを引っ張ることもしばしばありますが、

味方サポーター(実際はサポーターだったかは不明)のブーイングにきれてしまったことがあります。

詳細は次項で語ります。

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中指により代表追放された1994年アメリカワールドカップ【代表チーム】

【シュテファン・エッフェンベルク】はドイツ代表として35試合に出場しています。

実力からすると試合数が少ないと感じるかもしれません。

ベストイレブンに選出されたユーロ1992

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【シュテファン・エッフェンベルク】がドイツ代表として活躍する最初のメジャー大会はユーロ1992です。

グループリーグでは因縁のライバルであるオランダに【ライカールト】や【ベルカンプ】にゴールを決められ負けますが1勝1敗1分で突破します。

【エッフェンベルク】はスコットランド相手にゴールを決めて勝利に貢献しています。

準決勝はスウェーデンに勝利し決勝でユーゴスラビア内戦により代替出場したデンマークと闘うこととなります。

【ピーター・シュマイケル】が守るゴールをこじ開けることができず、準優勝の結果に終わりました。

【ライカールト】【ベルカンプ】【ピーター・シュマイケル】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。

代表追放事件がおきた1994年アメリカワールドカップ

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【シュテファン・エッフェンベルク】は勝利を宿命とするドイツ代表です。

ドイツのワールドカップ成績は1990年までに12回中9回ベスト4に進出しているため、国民の期待も尋常ではありません。

さらにドイツは1990年イタリアワールドカップで優勝しているため、1994年アメリカワールドカップは連覇がかかっています。

そんななか【メラー】や【ヘスラー】といったパスの名手がいたため【エッフェンベルク】は右ウィングバックとして出場します。

事件はグループリーグ3戦目の対韓国戦でおきました。

ドイツは3点リードしており、グループリーグ突破にむけてなんの問題もありませんでした。

しかし、ヨーロッパのゴールデンタイムにあわせるため真夏の昼間に行われた試合では、ピッチレベルで50℃まで上昇し選手の思考能力も徐々に失われていきます。

韓国に2点返され3対2となり、サポーターが選手にブーイングやヤジを飛ばします。

疲労と暑さとカッとなりやすい感情がゴチャまぜとなり【エッフェンベルク】は暴挙に出ます。

サポーターに中指をたててしまいます。

【エリック・カントナ】のカンフーキックや【ジネディーヌ・ジダン】のヘッドバットと並ぶ事件です。

3人に共通するのは勝利への情熱とファンタジスタです。

ドイツは【エッフェンベルク】を代表チームから永久追放とします。

【カントナ】【ジダン】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。

カンプノウの悲劇を乗り越えチャンピオンズリーグ優勝【クラブチーム】

【シュテファン・エッフェンベルク】は代表チーム追放となり、居場所はクラブチームのみとなります。

しかし、そこでめげないのが【エッフェンベルク】です。

すこしずつ紐解いていきましょう。

デビューと再帰をはたした場所【ボルシア・メンヒェングラードバッハ】

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【シュテファン・エッフェンベルク】はボルシアMGからデビューします。

ボルシアMGの正式名称は「ボルシア・メンヒェングラードバッハ」です。

僕が最初にボルシアMGを知ったのは、【エッフェンベルク】がバイエルン・ミュンヘンから戻ってきた1994年だったと記憶しています。

名前の響きがかっこいいので、早口言葉のように「ボルシア・メンヒェングラードバッハ」と口ずさんだのがいい思い出です。

ちなみに2023年現在、【板倉滉】が所属しています。

話を【エッフェンベルク】に戻します。

ボルシアMGでデビューした【エッフェンベルク】は国内最大のビッグクラブのバイエルン・ミュンヘンに移籍します。

さらにバイエルン・ミュンヘンから当時世界最強リーグと呼ばれていたイタリアのセリエAのフィオレンティーナに移籍します。

フィオレンティーナは【ロベルト・バッジョ】が輝いたクラブであり、【ルイ・コスタ】が【エッフェンベルク】と入れ替わりに入団するためファンタジスタを許容するクラブだったのかもしれません。

【バッジョ】【ルイ・コスタ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。

1994年のアメリカワールドカップ中指立て事件後、フィオレンティーナを退団した【エッフェンベルク】はボルシアMGに戻ります。

代表を追放された【エッフェンベルク】が活躍する場所はクラブチームのみなので、逆に言うと全部の力をクラブチームに集中することができます。

【エッフェンベルク】は加入初年度にいきなり結果を出します。

中堅チームでくすぶっていたボルシアMGをドイツカップ優勝に導きます。

そして拾う神が現れます。

「ヒッツフェルト監督」です。

悲劇と歓喜の両方を味わったチャンピオンズリーグ【バイエルン・ミュンヘン】

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【シュテファン・エッフェンベルク】は「ヒッツフェルト監督」率いるバイエルン・ミュンヘンに1998-1999年シーズンから6年ぶりに戻ることなります。

ドイツ代表は追放されていますが、ドイツ最大のビッグクラブに移籍するという矛盾をはらんでいます。

そしてバイエルン・ミュンヘンにはドイツが誇る闘将が二人いました。

1990年ワールドカップ優勝時のキャプテン【ローター・マテウス】と2002年ワールドカップ準優勝時のキャプテン【オリバー・カーン】です。

その二人をさしおいて「ヒッツフェルト監督」は代表追放された【エッフェンベルク】をバイエルン・ミュンヘンのキャプテンに任命します。

信頼の証としてはこれ以上はなく【エッフェンベルク】もその心意気を感じ、バイエルン・ミュンヘンでは高い次元のパフォーマンスを連発します。

【マテウス】【カーン】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。

【エッフェンベルク】のチャンピオンズリーグ優勝に最初に近づいたのは、1998-1998年のチャンピオンズリーグ決勝で相手はマンチェスターユナイテッドです。

審判は当時最高と言われたイタリアの「ピエルルイジ・コッリーナ」。

「ファーガソン監督」率いる「マンチェスター・ユナイテッド」は【ベッカム】【ギグス】【スコールズ】などが全盛期を迎えていました。

【ベッカム】【ギグス】【スコールズ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。

「バイエルン・ミュンヘン」の1点リードでアディショナルタイムに突入し、優勝まであと一歩のところから悲劇が起きます。

コーナーキックを得た「マンチェスター・ユナイテッド」を【ベッカム】が蹴るとこぼれ球を途中出場の【シェリンガム】が決め同点に追いつきます。

さらにもう1回コーナーキックを得た「マンチェスター・ユナイテッド」は再び【ベッカム】のキックから【シェリンガム】経由して【スールシャール】が決めます。

「マンチェスター・ユナイテッド」から見れば奇跡、「バイエルン・ミュンヘン」から見れば悲劇です。

【エッフェンベルク】【マテウス】【カーン】など「バイエルン・ミュンヘン」のメンバーの悔しい表情が印象的でした。

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2年後にリベンジの機会が訪れます。

2000-2001年のチャンピオンズリーグの決勝は「バイエルン・ミュンヘン」対「バレンシア」です。

「バレンシア」は1999-2000年の決勝で負けていますので、こちらも負けられない気持ちは「バイエルン・ミュンヘン」に負けず劣らずメラメラと燃えていました。

主力には【アイマール】や【メンディエタ】がいました。

【アイマール】【メンディエタ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。

どちらも勝利への渇望がありましたが、わずかに天秤は「バイエルン・ミュンヘン」に傾きました。

まずは「バレンシア」が前半2分にPKを決めます。

一方「バイエルン・ミュンヘン」は後半5分に同じくPKを決め同点に追いつきます。

その後は一進一退の攻防で延長線でも決着がつかずPK合戦までもつれ込みます。

7人目のキックを【カーン】が止め、【エッフェンベルク】は悲願のチャンピオンズリーグ優勝を獲得します。

「バイエルン・ミュンヘン」としても【ベッケンバウアー】時代の1975-1976年以来の優勝でした。

代表を追放されていた【エッフェンベルク】にとっては実質的なクラブ世界一になったことで、いまわしき過去を振り払った瞬間だったのかもしれません。

まとめ

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いかがでしたでしょうか。

【シュテファン・エッフェンベルク】は大舞台で失敗しました。

昨今、一度のミスで奈落の底まで落とし込む風潮がありますが、救う神がいてもいいと思います。

【エッフェンベルク】は「ヒッツフェルト監督」に信頼されることで一流選手として不死鳥のごとく復活しました。

1994年に【エッフェンベルク】が選手生命を終えていたら、ドイツのファンタジスタの系譜は途切れていたのかもしれません。

【シュテファン・エッフェンベルク】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。

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次回予告

次回はブラジルの伝説でもあり日本の伝説でもあり世界の伝説でもある【ジーコ】です。

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