どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手はブラジルの【ドゥンガ】です。
Embed from Getty Images「 ドゥンガはどんな選手?」
「ドゥンガのエピソード教えて!」
と思っていただいたあなたへお届けします。
ちょいちょいぼくのエピソードも混じっていますが、お付き合いいただければ幸いです。
いきなりですが【ドゥンガ】にキャッチフレーズをつけます。
鬼軍曹
「ドゥンガズブートキャンプ」
なぜこのキャッチフレーズをつけたのか【ドゥンガ】のすごいぞポイント3つを軸に語っていきますので、しばしお付き合いください。
いち早く実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。
プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。
- プレースタイル「キャプテン」
- ブラジル代表の浮き沈み
- ジュビロ磐田のレジェンド
選手プロフィール
- 名前:ドゥンガ
- 国籍:ブラジル
- 生年月日:1963年10月31日
- 身長・体重:177cm81kg
- 利き足:右足
- ポジション:MF(ミッドフィルダー)
- 主な所属チーム:フィオレンティーナ、シュトゥットガルト、ジュビロ磐田
- 代表歴:91試合(6得点)
- ワールドカップ出場:1990年、1994年、1998年
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1980-1984 | インテルナシオナル | 10 | (0) |
1985 | コリンチャンス | 13 | (1) |
1986 | サントス | 16 | (1) |
1987 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 17 | (1) |
1987-1988 | ピサ | 23 | (2) |
1988-1992 | フィオレンティーナ | 124 | (8) |
1992-1993 | ペスカーラ | 23 | (3) |
1993-1995 | VfBシュトゥットガルト | 54 | (7) |
1995-1998 | ジュビロ磐田 | 99 | (16) |
1999 | インテルナシオナル | 20 | (3) |
通算 | 377 | (42) |
出会い
【ドゥンガ】との出会いは、1994年アメリカワールドカップです。
僕が初めてみたワールドカップです。
キャプテン翼の影響もあり、ブラジルはサッカー王国として小さい頃から認識があり、
トヨタカップでもサンパウロが強かった印象がありました。
しかし、その当時のブラジルはそこまで下馬評は高くありませんでした。
結果は【ロマーリオ】【ベベット】の活躍があり、【ロベルト・バッジョ】率いるイタリアを倒し4度目のチャンピオンになります。
そのときワールドカップを掲げたのが誰あろう【ドゥンガ】になります。
【ロマーリオ】【ロベルト・バッジョ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
Embed from Getty Imagesすごいぞポイント3つ
プレースタイル「キャプテン」
【ドゥンガ】のプレースタイルは「キャプテン」です。
「キャプテン」がプレースタイル?って思ったあなた、あなどることなかれ。
サッカーは1チーム11人のスポーツです。
ワールドカップではベンチメンバーは23人です。(2022年ワールドカップでは26人。)
クラブチームではリーグによって変わりますが、たくさんいることは間違いないです。
その選手たちが、各々自分よがりなプレーをし始めたら収集がつきません。
それをまとめるのが監督の役目と思われがちですが、サッカーは時々刻々と変化するスポーツのため、ピッチ内で指揮をとれるキャプテンがとても重要になります。
キャプテンの求心力がなければ、どんなに良い選手をそろえていてもチームはバラバラとなります。
そこで【ドゥンガ】です。
【ドゥンガ】が一人入れば解決します。
ブラジル代表に選ばれた選手はプライドの塊の選手が大多数ですので、まとめたキャプテンシーは尋常ではありません。
その手腕は「ジュビロ磐田」で目の当たりにしますが、別の項で語ります。
補足しますが、【ドゥンガ】のボールを「止める蹴る」の技術は基本に忠実で丁寧です。
いくらキャプテンシーがあっても、ボールを確実に繋げる技術がなければ信頼はされません。
Embed from Getty Imagesブラジル代表の浮き沈み
【ドゥンガ】はブラジル代表で3回のワールカップに出場しています。
ブラジル代表に求められる攻撃的スタイルではなく、いぶし銀のプレースタイルで3回は驚異的数字です。
1回目は1990年イタリアワールドカップです。
ベスト16でブラジルは【ディエゴ・マラドーナ】率いるアルゼンチンと激突します。
1986年の全盛期の【マラドーナ】でありませんでしたが、最後の最後に【クラウディオ・カニーヒア】にスルーパスを通してブラジルを撃破します。
今話題のベスト16からベスト8の壁ではないですが、【ドゥンガ】はここで苦い思い出とともにワールドカップを去ります。
2回目は1994年のアメリカワールドカップです。
ブラジルの下馬評は決して高くなかった有りませんでした。
【ドゥンガ】を中心としたすきのない守り。
サイドバックの【ジョルジーニョ】と【レオナルド】のサイドアタック。
とどめは決定力抜群の【ロマーリオ】と【ベベット】がさし、【ロベルト・バッジョ】【フランコ・バレージ】【パオロ・マルディーニ】などをようするイタリアを倒し優勝します。
3回目は1998年フランスワールドカップです。
【ロマーリオ】は怪我ででれませんでしたが、怪物【ロナウド】が君臨しており2大会連続で決勝まで【ドゥンガ】キャプテンは導きます。
決勝では【ロナウド】の体調不良と【ジネディーヌ・ジダン】の伝説ヘッド2発もあり破れましたが、【ドゥンガ】の偉業に傷がはいることはありません。
【ジョルジーニョ】【レオナルド】【フランコ・バレージ】【パオロ・マルディーニ】【ロナウド】【ジダン】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
Embed from Getty ImagesEmbed from Getty Imagesジュビロ磐田のレジェンド
【ドゥンガ】を「ジュビロ磐田のレジェンド」といって異論を唱える人は一人もいないでしょう。
1995年から1998年の在籍期間4年で「ジュビロ磐田」を黄金時代に導きました。
最初の2年は種まきです。
Jリーグが始まったばかりの日本サッカーはプロ化されていましたが、ブラジル人のキャプテン【ドゥンガ】から見ればまだまだアマチュアでした。
プレーの一つ一つを練習はもちろん、試合の最中でも身振り手振りを使ってレッスンしていました。
その姿「鬼軍曹」なり。
昔流行ったビリーズブートキャンプの「ビリー」ばりです。
ジュビロ磐田の選手を育てた手法は、言うてみれば「ドゥンガズブートキャンプ」です。
芽が咲き始めたのが、【ドゥンガ】加入3年目の1997年です。
当時Jリーグは2ステージ制で、1stステージは6位でしたが、2ndステージで悲願の初優勝を果たします。
【中山雅史】、【名波浩】、【藤田俊哉】などの静岡県出身のレジェンドにとって初タイトルでした。
その勢いで1stステージ優勝の鹿島アントラーズをチャンピオンシップで下して年間優勝を手に入れます。
【ドゥンガ】は年間MVPも獲得します。
次の1998年は1stステージ優勝、2ndステージ2位となりましたが、チャンピオンシップで惜しくも破れましたが、前年の優勝がフロックでないことを証明しました。
【ドゥンガ】が退団した1999年以降も「ジュビロ磐田」は2004年までタイトルを取り続けます。
今の「ジュビロ磐田」はJ1とJ2をいったり来たりのシーソーチームになってしまったので、いつか浮上してほしいと思います。
2023年シーズンは何の因果かJ2に静岡のチームが3チームになります。
「ジュビロ磐田」「清水エスパルス」「藤枝MYFC」。
サッカー王国の復活をお待ちしています。
Embed from Getty Imagesまとめ
いかがでしたでしょうか。
【ドゥンガ】が偶然の導きでジュビロ磐田に来てくれて、日本でプレーしてくれて感謝します。
サッカーは上手い人が11人集まれば勝てるスポーツではないことを【ドゥンガ】は示してくれました。
実際にキャプテンマークをまくかは別としてキャプテンシーを持った選手が揃えば、苦しいときもチームを支えることが出来ます。
キャプテンは後天的に育てるのは難しい部分があります。
チームが勝つことを最重要項目として、チームを同じ方向に向かせる選手が現れることが第デス。
バリ世代では【松木玖琉】選手、次期日本代表では【遠藤航】選手に期待します。
【ドゥンガ】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【ヤープ・スタム】です。
お楽しみにしてください、またね。
Embed from Getty Imagesここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
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