どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手はブラジルの【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】です。
Embed from Getty Images「 ジュニーニョ・ペルナンブカーノはどんな選手?」
「ジュニーニョ・ペルナンブカーノのエピソード教えて!」
と思っていただいたあなたへお届けします。
ちょいちょいぼくのエピソードも混じっていますが、お付き合いいただければ幸いです。
いきなりですが【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】にキャッチフレーズをつけます。
七色のフリーキック
「史上最高のフリーキッカーとは誰?俺でしょ」
なぜこのキャッチフレーズをつけたのか【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】のすごいぞポイント3つを軸に語っていきますので、しばしお付き合いください。
いち早く実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。
プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。
- プレースタイル「フリーキック」
- ヴァスコ・ダ・ガマ時代の活躍
- リヨン時代の活躍
選手プロフィール
- 名前:ジュニーニョ・ペルナンブカーノ
- 国籍:ブラジル
- 生年月日:1975年1月30日
- 身長・体重:178cm71kg
- 利き足:右足
- ポジション:MF(ミッドフィルダー)
- 主な所属チーム:ヴァスコ・ダ・ガマ、リオン
- 代表歴:40試合(6得点)
- ワールドカップ出場:2006年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ジュニーニョ・ペルナンブカーノ
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1993-1994 | スポルチ | 24 | (2) |
1995-2001 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 111 | (26) |
2001-2009 | リヨン | 248 | (75) |
2009-2011 | アル・ガラファ | 40 | (15) |
2011-2012 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 50 | (11) |
2013 | ニューヨーク・レッドブルズ | 13 | (0) |
2013 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 21 | (2) |
出会い
【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】との出会いは、「ジュニーニョ」という名前に関係があります。
ブラジルの「ジュニーニョ」といえば【ジュニーニョ・パウリスタ】が最初に台頭しました。
小柄でテクニシャンで変幻自在のプレースタイルはまさに「ファンタジスタ」でした。
2歳下の【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】のことをもうひとりの「ジュニーニョ」として認識するのはもう少し後のことです。
トヨタカップで「ヴァスコ・ダ・ガマ」の一員として「レアルマドリード」と対戦したときです。
当時のレアルは僕の好きな選手が目白押しでした。
【クラレンス・セードルフ】【フェルナンド・レドンド】【ロベルト・カルロス】【ラウル・ゴンサレス】などなど。
「レアルマドリード」中心に試合を見ていたので、正直に言うと【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】のことはこのときは、後に世界最高峰のフリーキッカーになることは知るよしもありませんでした。
【セードルフ】【レドンド】【ロベルト・カルロス】【ラウル】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
Embed from Getty Imagesすごいぞポイント3つ
プレースタイル「フリーキック」
【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】のプレースタイルは「フリーキック」です。
プレースタイルに「フリーキック」と名乗れるのは後にも先にも【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】だけです。
もちろんテクニックもあるのでパスもドリブルもシュートもすべて一級品です。
しかしそれでも突き抜けている能力が「フリーキック」なのでプレースタイル「フリーキック」と言わざるをえません。
「どんなフリーキック?」と聞かれても、「まぁ見てください」としか言えません。
とは言いつつ、それではブログとして成り立たないため、次項から「ヴァスコ・ダ・ガマ時代」編と「リヨン時代」編で語っていきます。
【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】を紹介する時に、ひとつ最初にいうとしたらフリーキックの名手【中村俊輔】や【アンドレア・ピルロ】が参考にした選手です。
【中村俊輔】、【ピルロ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
Embed from Getty Imagesヴァスコ・ダ・ガマ時代の活躍
【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】は「スポルチ」というクラブで18歳でデビューし、リオデジャネイロの名門のひとつ「ヴァスコ・ダ・ガマ」に翌年移籍します。
1つ目の転機は1998年の南米世界一のクラブを決める「リベルタドーレス杯」の準決勝です。
アルゼンチンの名門「リーベルプレート」との一戦で右足からの一閃でカーブがかかったボールはゴールに吸い込まれます。
これが決勝点となり、決勝戦に進みます。
決勝戦では2アシストを決め、「ヴァスコ・ダ・ガマ」の「リベルタドーレス杯初優勝」に貢献します。
ちなみに世界一のクラブを決める「トヨタカップ」では「レアルマドリード」相手に、ボレーシュートを決め一矢報いています。
次の転機は2000年です。
2000-2001年シーズンは【ロマーリオ】【ジョルジーニョ】【エジムンド】などレジェンドの面々とチームメイトとなることとなります。
実はヨーロッパに一足先に移籍したが、思ったような活躍が出来ずローン移籍で加入した【ジュニーニョ・パウリスタ】ともこのシーズンにチームメイトとなっています。
南米とヨーロッパの一発勝負からアジアやアフリカなどを含めた、第一回のFIFAワールドクラブカップが開催されたのが2000年です。
「ヴァスコ・ダ・ガマ」は南米代表として参加し、予選リーグでマンチェスター・ユナイテッドを倒して決勝戦に進みます。
決勝ではPK合戦で敗れていますが、【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】はその年のブラジルクラブのベストイレブンに【ロマーリオ】【ジュニーニョ・パウリスタ】とともに選ばれています。
ちなみにその年のベストイレブンにはヨーロッパに渡る前の【ロナウジーニョ】や【ルシオ】もいます。
【ロマーリオ】【ジョルジーニョ】【ロナウジーニョ】【ルシオ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
Embed from Getty Imagesリヨン時代の活躍
【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】の名を世間に本当の意味で轟かせたのはフランスのクラブチームの「リヨン」時代です。
「リヨン」の黄金時代はすなわち【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】が所属していた時期と一致しています。
当時のフランスリーグは「マルセイユ」の八百長問題がおきた1993年以降、連覇チームがいない戦国時代でした。
それに終止符を打ったのが「リヨン」です。
【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】が加入した初年度に当たる2001-2002年シーズンに悲願のリーグ初優勝を果たします。
物語はそれで終わりません。
そこから「パリ・サンジェルマン」もびっくりの怒涛の7連覇を果たします。
「パリ・サンジェルマン」はここ10シーズンで8シーズン優勝していますが、4連覇が最高です。
話は戻り、【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】がリヨン時代に決めたフリーキックのゴールが8シーズンで40を超えています。
単純計算1シーズン5ゴール以上の計算です。
カーブをかけたテクニカルなフリーキック。
パワーを伝えた強烈な強烈なフリーキック。
近い距離も遠い距離も関係ありません。
そして特筆すべきは「無回転フリーキック」です。
いまでは映像解析技術が進歩してメカニズムが分かっていますが、当時は異次元のボールでした。
揺れて落ちる様子は野球の「ナックル」に例えられましたが、「ナックル」はスピードがないが「無回転シュート」はスピードもあるので似て非なるボールでした。
【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】が称賛されることもありましたが、正面のボールをポロリする「ゴールキーパー」を批判する声もしばしばあったと記憶しています。
Embed from Getty Imagesまとめ
いかがでしたでしょうか。
【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】のフリーキックに関しては「百聞は一見にしかず」です。
史上最高のフリーキッカーと呼ばれた七色のフリーキックをぜひご覧ください。
日本では【三浦淳宏】や【本田圭佑】が無回転シュートの使い手として現れました。
カタールワールドカップの日本代表にはフリーキックのスペシャリストがいなかったのは残念でしたので、現れるのを期待しています。
フリーキックは蹴り続けたものしか与えられないスキルですが、【中村俊輔】ならヒントを与えてくれるはずです。
【久保建英】、【堂安律】などキック精度が高い選手が鍛錬すれば日本代表のとびっきりの武器になると信じています。
【ジュニーニョ・ペルナンブカーノ】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【ルート・ファン・ニステルローイ】です。
お楽しみにしてください、またね。
Embed from Getty Imagesここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
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