どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手はアルゼンチンの【ラモン・ディアス】です。
Embed from Getty Images「 ラモン・ディアスってウイイレ、イーフットボール、サカつくなどのサッカーゲームでレジェンド枠でよくでてくるけどどんな選手だったの?」
「ラモン・ディアスの代表チームやクラブチームでの活躍を面白おかしく教えて!!」
と思ったあなたへお届けします。
この記事を読んでいただければ、【ラモン・ディアス】のプレースタイルを知ることが出来ます。
さらに代表チームとクラブチームそれぞれのパートに分けて活躍を知ることでファンになること間違いなしです。
選手プロフィールと下記3つを軸に語っていきますので、5分ほどお時間をください。
- プレースタイル
- マラドーナとともに日本の地でワールドユース優勝【代表チーム】
- 世界技術を見せつけたJリーグ初代得点王【クラブチーム】
四の五の言わずに実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。
プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。
選手プロフィール
- 名前:ラモン・ディアス
- 国籍:アルゼンチン
- 生年月日:1959年8月29日
- 身長・体重:172cm68kg
- 利き足:左足
- ポジション:フォワード
- 代表歴:22試合(10得点)
- ワールドカップ出場:1982年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ラモン・ディアス
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1978-1981 | CAリーベル・プレート | 123 | (57) |
1982-1983 | SSCナポリ | 25 | (3) |
1983-1986 | USアヴェッリーノ | 78 | (22) |
1986-1988 | ACFフィオレンティーナ | 53 | (17) |
1988-1989 | インテルナツィオナーレ・ミラノ | 33 | (12) |
1989-1991 | ASモナコ | 60 | (24) |
1991-1992 | CAリーベル・プレート | 52 | (27) |
1993-1995 | 横浜マリノス | 75 | (52) |
通算 | 499 | (214) |
プレースタイル
Embed from Getty Images【ラモン・ディアス】は左利きのストライカーです。
【ラモン・ディアス】はパワーやフィジカルを前面に出すタイプではなく、テクニックと嗅覚で得点します。
Jリーグ開幕時はサッカーの見方が分かっていなかったので、【ラモン・ディアス】の凄さは分かっていなかったです。
【武田修宏】と同様に「いいとこにいるな」と思っていました。
今では優秀なストライカーは必ず点をたくさん取ると理解しています。
フォワードには前線からの守備やボールキープ、ポストプレーなど点を取る以外のタスクがあるのは事実です。
【ラモン・ディアス】は日本では72試合で52得点取ったため、Jリーグ創世記をいろどるストライカーであったことは間違いありません。
左利きの点取り屋は【エムボマ】【サラス】【シニョーリ】【ラウル】も紹介していますので、興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
マラドーナとともに日本の地でワールドユース優勝【代表チーム】
相棒マラドーナと優勝した1979年ワールドユース
Embed from Getty Images【ラモン・ディアス】を紐解くと必ずでてくる選手が【マラドーナ】です。
1979年に日本で行われたワールドユース大会で【マラドーナ】が最優秀選手、【ラモン・ディアス】が得点王になりました。
1978年にワールドカップ初優勝したアルゼンチンの次世代が着実に育っている証拠でもありました。
最初で最後の1982年スペインワールドカップ
Embed from Getty Images【ラモン・ディアス】のアルゼンチン代表におけるキャリアは実力に見合わず、短いものでした。
22試合に出場して10得点です。
1979年ワールドユース優勝と得点王の実績をもとにフル代表として1982年スペインワールドカップは【マラドーナ】とともに選ばれます。
【マラドーナ】がけずりにけずられ攻撃のタクトを奪われた状態になったため、二次リーグで敗退します。
【ラモン・ディアス】は二次リーグで【ジーコ】率いるブラジル戦で1点決めますが、これがアルゼンチン代表としての最後の試合で最後の得点となります。
【ジーコ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
世界技術を見せつけたJリーグ初代得点王【クラブチーム】
ACミランとナポリ全盛期の間にスクデット獲得【インテル】
Embed from Getty Images【ラモン・ディアス】は【マラドーナ】より早い1982年にイタリアのプロリーグのセリエAのナポリに移籍します。
【マラドーナ】はバルセロナで2シーズン過ごした後にナポリに【ラモン・ディアス】で入れ替わりで加入し伝説を作ります。
【ラモン・ディアス】はナポリ、アヴェッリーノ、フィオレンティーナとイタリアのクラブを渡り歩きますが、大きな実績をあげることは出来ませんでした。
これはストライカー特有の問題もからんでいます。
独力で突破するストライカーであればなんとかなるのですが、チームの助けが必要なストライカーである【ラモン・ディアス】は中堅チームでは実力が発揮できませんでした。
転機は1988年です。
名門インテルに移籍します。
当時は【マラドーナ】のナポリ、【ファンバステン】【フリット】【ライカールト】のオランダトリオ中心のACミランが群を抜いて強かった時代です。
インテルでは【マテウス】【ブレーメ】などゲームメークとアシストが得意な選手が多く、ストライカー【ラモン・ディアス】が活躍する舞台が整いました。
12得点を決め8年ぶりのリーグ優勝をはたし、スクデットを手に入れます。
【ファンバステン】【フリット】【ライカールト】【マテウス】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
現役最後の場所で一花咲かしJリーグ初代得点王に輝く【横浜マリノス】
Embed from Getty Images【ラモン・ディアス】は古巣リーベルプレート復帰後、得点王に輝き優勝に貢献します。
そしてJリーグのオリジナル10の横浜マリノス(元日産)が最後のクラブチームとなります。
横浜マリノスには【木村和司】【水沼貴史】【エバートン】【ビスコンティ】の中盤がそろっていました。
すなわち、ストライカー【ラモン・ディアス】としては仕事がしやすい環境と言えます。
当時、【三浦知良】【武田修宏】【ラモス瑠偉】【北澤豪】など日本代表勢ぞろいのスター軍団だったヴェルディ川崎との開幕戦は今でも脳裏に焼き付いています。
【マイヤー】のミドルシュートの弾丸ゴールではじまり、【ラモン・ディアス】のゴールで終わりました。
その後も【ラモン・ディアス】は点を取り続け、32試合で28得点を決め、見事初代Jリーグ得点王となります。
リーグ戦は1stステージ、2ndステージともに3位で優勝は出来ませんでした、アジアのカップ戦覇者が戦うアジアカップウィナーズカップで優勝しています。
まとめ
Embed from Getty Imagesいかがでしたでしょうか。
【ラモン・ディアス】は日本人にストライカーのなんたるかを教えてくれました。
小柄でも動き出しとポジショニングがあれば身長が高くなくても、圧倒的なフィジカルを持っていなくても点を取ることができます。
【大久保嘉人】【佐藤寿人】がJリーグ得点王になり、【古橋亨梧】がスコットランドリーグ得点王となり証明してくれました。
「ブルーロック」でも色々なストライカー像を教えてくれますが、頭脳をいかしゴールから逆算したプレーをする選手が大好きです。
【ラモン・ディアス】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【ミカエル・ラウドルップ】です。
Embed from Getty Imagesここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
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