どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手はオランダの【ルート・フリット】です。
Embed from Getty Images「フリットってウイイレ、イーフットボール、サカつくなどのサッカーゲームでレジェンド枠でよくでてくるけどどんな選手だったの?」
「フリットの代表チームやクラブチームでの活躍を面白おかしく教えて!!」
と思ったあなたへお届けします。
この記事を読んでいただければ、【ルート・フリット】のプレースタイルを知ることが出来ます。
さらに代表チームとクラブチームそれぞれのパートに分けて活躍を知ることでファンになること間違いなしです。
選手プロフィールと下記3つを軸に語っていきますので、5分ほどお時間をください。
- プレースタイル
- オランダ初タイトルの欧州選手権優勝【代表チーム】
- オランダトリオで世界を席巻【クラブチーム】
四の五の言わずに実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。
プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。
選手プロフィール
- 名前:ルート・フリット
- 国籍:オランダ
- 生年月日:1962年9月1日
- 身長・体重:1963cm88kg
- 利き足:右足
- ポジション:フォワード、ミッドフィルダー、ディフェンダー
- 代表歴:66試合(17得点)
- ワールドカップ出場:1986年、1990年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ルート・フリット
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1979-1982 | HFCハールレム | 91 | (32) |
1982-1985 | フェイエノールト | 85 | (30) |
1985-1987 | PSV | 68 | (46) |
1987-1993 | ミラン | 117 | (35) |
1993-1994 | サンプドリア | 31 | (15) |
1994 | ミラン | 8 | (3) |
1995 | サンプドリア | 22 | (9) |
1995-1998 | チェルシー | 49 | (4) |
通算 | 465 | (175) |
プレースタイル
Embed from Getty Images【ルート・フリット】は唯一無二のプレースタイルです。
時にはファンタジスタ。
時にはストライカー。
時にはリベロ。
他にもゴールキーパー以外何でもできます。
オールマイティという意味ではオランダ代表やACミランで切磋琢磨した【ライカールト】と一緒のように見えます。
【ライカールト】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
しかし、決定的に違うのがファンタジスタの才能の有無になります。
ファンタジスタ、リベロ、ストライカーすべての才能を持ち合わせた選手は僕が知る限りでは二人しかいません。
キャプテン翼の「大空翼」と【ヨハン・クライフ】だけです。
すなわち、【フリット】は漫画の世界の選手と伝説中の伝説と同じ能力をもった稀有な存在といっていいでしょう。
オランダ初タイトルの欧州選手権優勝【代表チーム】
念願のビッグタイトルを獲得した1988年欧州選手権
Embed from Getty Images【ルート・フリット】はオランダ代表をビッグタイトルに導いています。
【ヨハン・クライフ】ですら到達できなかった偉業です。
それが1998年欧州選手権。
当時のユーロは出場すること自体が難関で8チームのみの出場です。
グループリーグは初戦でソ連に敗れますが、その後2連勝し2位でグループリーグを突破します。
グループリーグ突破後はいきなり準決勝です。
相手はオランダの宿敵「西ドイツ」です。(当時は東西分裂時代のため西ドイツと表記します。)
なぜ宿敵なのか?
【ヨハン・クライフ】が絶頂期の1974年ワールドカップ決勝で皇帝【フランツ・ベッケンバウアー】を中心とした西ドイツに負けているからです。
1974年のオランダ代表を率いていたのが、誰あろう「リヌス・ミケルス」監督です。
さらにユーロ1988の西ドイツ代表監督が1974年のワールドカップを主将としてかかげた【フランツ・ベッケンバウアー】です。
オランダにとっても「ミケルス監督」にとってもリベンジの機会が訪れました。
舞台は西ドイツのミュンヘンスタジアム。
オランダ完全アウェイと思いきや、オランダサポーターが大挙押し寄せ、スタジアムはオランダカラーのオレンジに染まります。
先制点は西ドイツです。
【ローター・マテウス】が後半10分にPKを決めます。
オランダも黙ってはいません。
【ロナルド・クーマン】が後半29分にPKを決めます。
ここまでの展開は1974年ワールドカップと酷似しています。
PKを決め合い1対1。
決勝点をどちらが決めるかになります。
1974年にいなくて1988年にいる。
それが【ファン・バステン】。
延長がちらつき始めた後半43分でした。
【ファン・バステン】のスライディングシュートが決まり決勝点となります。
悲願の優勝まであと1勝。
決勝の相手はグループリーグ初戦で敗れたソ連。
2度同じ轍を踏むわけにはいきません。
スタメンには【ファン・バステン】【ルート・フリット】【フランク・ライカールト】のオランダトリオ以外に【ロナルド・クーマン】や【ジェラルド・ファネンブルグ】が名を連ねます。
ちなみに【ジェラルド・ファネンブルグ】はのちに「ジュビロ磐田」で活躍します。
試合は前半32分に均衡がやぶれました。
ドレッドヘアーをなびかせながら超人的なジャンプ力からのヘディングで【ルート・フリット】が先制点をきめます。
そして【ファン・バステン】の伝説のスーパーボレーでダメ押しします。
そして【ヨハン・クライフ】で達成できなかったメジャータイトルを獲得します。
惜しむらくは、【ファン・バステン】のスーパーボレーの印象で【フリット】の決勝点が霞んでしまったことです。
【ファン・バステン】【ローター・マテウス】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
不完全燃焼の1990年イタリアワールドカップ
Embed from Getty Images【ルート・フリット】は1988年欧州選手権のタイトルをひっさげて1990年ワールドカップに出場します。
クラブチームにおいてもイタリアの名門ACミランでチャンピオンズカップ(チャンピオンズリーグの前身)で1989-1990年シーズンに優勝しています。
代表でもクラブでもヨーロッパナンバーワンとなった【フリット】が狙う最後のタイトルがワールドカップです。
しかし運が悪いことに、【フリット】は2度の膝の出術で万全ではありません。
エースストライカーの【ファン・バステン】もリーグ戦で激しいタックルを喰らい続け足首がボロボロの状態です。
さらに監督人事のオランダサッカー協会の内紛もあり、雰囲気も悪いまま大会を迎えます。
グループリーグは3戦3分けでかろうじて3位で突破します。
3位突破のため他グループの1位と対戦することとなります。
その相手こそ因縁の相手ドイツです。
1988年欧州選手権の準決勝の再現です。
ACミランにオランダトリオの【ファン・バステン】【フリット】【ライカールト】、インテルにドイツトリオの【マテウス】【クリンスマン】【ブレーメ】が在籍していました。
間接的なミラノダービーとも言えます。
試合は思わぬ方向に向かいます。
オランダのもう一人のキーマン【ライカールト】とドイツの【フェラー】が序盤から小競り合いを展開し、前半22分にふたりとも退場となってしまいます。
どちらも痛いのですが、【ライカールト】はオランダの心臓ですのでダメージとしてはオランダのほうが痛かったかと思います。
試合は2対1でドイツが勝利し、その勢いのままワールドカップ優勝します。
【フリット】は一時期代表を引退して1994年アメリカワールドカップ直前に復帰します。
しかし、監督との折り合いがつかず、守備の要【ロナルド・クーマン】とも衝突したため、1994年ワールドカップは不出場となります。
ファンタジスタ【ベルカンプ】との共演がワールドカップで見れなかったのが残念でした。
【ベルカンプ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
オランダトリオで世界を席巻【クラブチーム】
クライフと共闘【フェイエノールト】
Embed from Getty Images【ルート・フリット】は「HFCハールレム」でデビューし国内3大ビッグクラブの【フェイエノールト】へ移籍します。
ここで【ヨハン・クライフ】とともにプレーし優勝します。
【ヨハン・クライフ】の現役最後のシーズンをプレーしたことは【フリット】の能力を覚醒させたとにらんでいます。
さながら「クリリン」と「孫悟飯」の能力を覚醒させた「最長老」のように。
ちなみに【フリット】は「アヤックス」に所属したことはありませんが、アヤックス出身が多いオランダ代表に融合できたのは【クライフ】イズムを体験できたことが多いと思います。
リベロで活躍【PSV】
Embed from Getty Images【ルート・フリット】は「フェイエノールト」から国内3大ビッグクラブの一つ【PSV】へ移籍します。
そこで驚くべきはポジションです。
主にリベロでプレーしながら2シーズンで46ゴール決めています。
1シーズン平均23ゴールは純粋なストライカーでもすごい数字です。
それがディフェンスがメインのリベロでそれだけの得点をあげるというのはどういうことか。
正直、文面だけでは何が起きたのか想像できません。
「不適切にもほどがある」のタイムマシンならば1986年に戻れるので、オランダに行って【フリット】のプレーをみたいです。
オランダトリオとゾーンプレスが革命を起こす【ACミラン】
Embed from Getty Images【ルート・フリット】がワールドクラスのプレーヤーになったのは「ACミラン」移籍してからなのは間違いありません。
1987-1988年シーズンに【フリット】は加入するのですが、同時に就任したのが後に名将となる「アリゴ・サッキ監督」です。
「アリゴ・サッキ監督」の代名詞は「ゾーンプレス」ですが、ヒントはオランダの名将「リヌス・ミケルス監督」のアヤックス時代の戦術です。
【フリット】はオランダ代表で「ミケルス監督」の戦術を理解しており、なおかつ「ミケルス監督」の一番弟子【ヨハン・クライフ】とも共闘しています。
であるならば、【ファン・バステン】とともに【フリット】を自分のチームの核にするのは必然だったのかも知れません。
翌シーズンに【ライカールト】も加わり、伝説のオランダトリオが完成するのは「アリゴ・サッキ」の先見の明なくしてありえなかったです。
オランダトリオが軸となっていますが、基盤は【フランコ・バレージ】【パオロ・マルディーニ】【カルロ・アンチェロッティ】【ロベルト・ドナドーニ】などのイタリア人です。
【バレージ】指揮のもと442のスリーラインが「一糸乱れぬ」動く姿は芸術品です。
それだけなら機械的な選手をそろえたほうがいいのですが、異分子の【フリット】がいたことでさらなるビッグバンが起きたとにらんでいます。
チャンピオンズカップ(のちのチャンピオンズリーグ)2連覇とトヨタカップ2連覇が物語っています。
【フランコ・バレージ】【パオロ・マルディーニ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
プレイングマネージャー【チェルシー】
Embed from Getty Images【ルート・フリット】は「チェルシー」で現役を終えます。
当時のチェルシーはプレミアリーグの中では中堅チームでした。
【フリット】が加入した1995-1996年シーズンも11位でした。
当時の監督がイングランド代表監督に就任したため、【フリット】が現役の選手のまま監督をします。
いわゆる「プレイングマネージャー」です。
日本のプロ野球では「野村克也」さんや「古田敦也さん」が有名です。
ポジション的にはキャッチャーで全体が見える選手です。
【フリット】はオールマイティ能力があり全体のポジションが分かるから監督ができたのだと思います。
自分は裏方にまわり、【ジャンフランコ・ゾラ】や【ジャンルカ・ヴィアッリ】などとともに「FAカップ」と「カップウィナーズカップ」のタイトルを獲得します。
【ジャンフランコ・ゾラ】【ジャンルカ・ヴィアッリ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
名前の発音問題
Embed from Getty Images【ルート・フリット】は名前の発音が何度か変わりました。
最初に知ったのは【フリット】です。
実際の発音と違うということで【グーリット】となります。
しかし【フリット】になれているため【グーリット】では誰かわからないので、いつの間にか【フリット】に戻っていました。
オランダの選手はこのパターンがかなりあります。
【セードルフ】は最初【シードルフ】。
【スナイデル】は最初【スネイデル】。
二人ともアヤックス時代から知っていたので、途中で変わった時はどっちで言うか迷いました。
【セードルフ】【スナイデル】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
まとめ
Embed from Getty Imagesいかがでしたでしょうか。
【ルート・フリット】は代表チームでもクラブチームでも八面六臂の活躍をしました。
ある一面を切り取れば、同じような選手はでてくる可能性はありますが、リベロ+ファンタジスタ+ストライカーは二度と出てこないかも知れません。
それでも野球界で「大谷翔平」選手が突如あらわれたように、サッカー界に第二の【フリット】があらわれるのを期待します。
それも日本で。
【ルート・フリット】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【ヴィンチェンツォ・モンテッラ】です。
Embed from Getty Imagesここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
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