どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手はスペインの【デ・ラ・ペーニャ】です。
Embed from Getty Images「 デ・ラ・ペーニャはどんな選手?」
「デ・ラ・ペーニャのエピソード教えて!」
と思っていただいたあなたへお届けします。
ちょいちょいぼくのエピソードも混じっていますが、お付き合いいただければ幸いです。
いきなりですが【デ・ラ・ペーニャ】にキャッチフレーズをつけます。
リトルインサイドキックの魔術師
「天上天下唯我独尊」
なぜこのキャッチフレーズをつけたのか【デ・ラ・ペーニャ】のすごいぞポイント3つを軸に語っていきますので、しばしお付き合いください。
いち早く実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。
プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。
- プレースタイル「インサイドキック」
- ロナウドの覚醒
- エスパニョールでの復活劇
選手プロフィール
- 名前:デ・ラ・ペーニャ
- 国籍:スペイン
- 生年月日:1976年5月6日
- 身長・体重:171cm71kg
- 利き足:右足
- ポジション:MF(ミッドフィルダー)
- 主な所属チーム:バルセロナ、エスパニョール
- 代表歴:5試合(0得点)
- ワールドカップ出場:なし
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1993-1995 | バルセロナB | 37 | (5) |
1995-1998 | バルセロナ | 81 | (11) |
1998-2002 | ラツィオ | 15 | (0) |
1999-2000 | → マルセイユ (Loan) | 12 | (1) |
2000-2001 | → バルセロナ (Loan) | 9 | (0) |
2002-2011 | エスパニョール | 179 | (8) |
出会い
【デ・ラ・ペーニャ】との出会いは1996年にさかのぼります。
バルセロナにブラジルの怪物こと【ロナウド】が移籍した年です。
中盤には【グアルディオラ】が君臨していて、【シャビ】がデビューする少し前の時代です。
後で詳しく語りますが、同じ坊主頭の【デ・ラ・ペーニャ】と【ロナウド】は見た目もわかりやすく、プレー面でも目立ちまくりでした。
【ロナウド】【グアルディオラ】【シャビ】に興味のある皆さまは下記記事をご覧ください。
Embed from Getty Imagesすごいぞポイント3つ
プレースタイル「インサイドキック」
【デ・ラ・ペーニャ】のプレースタイルの主な特徴は「インサイドキック」の多様さです。
「インサイドキックの名手」として衝撃を受けたのがコロンビアの【バルデラマ】ですが、その次に衝撃を受けた選手が【デ・ラ・ペーニャ】です。
【バルデラマ】に興味のある皆さまは下記記事をご覧ください。
近くの味方にも正確にパスを出しますが、遠くの味方にも正確にパスを出します。
近くはコントロール重視の「インサイドキック」、遠くはパワー重視の「インサイドキック」が一般的な選手のキックの選択肢です。
【デ・ラ・ペーニャ】は近くも遠くも「インサイドキック」で蹴り続けます。
なぜそれが可能なのか?
「インサイドキック」の多彩さです。
強弱の加減や、スピンをかけたり、ピッチを切り裂く鋭いパスなど枚挙にいとまがありません。
特に僕のお気に入りは「スルーパス」です。
相手の選手が取れなくて、なおかつ味方の選手が取りやすい絶妙な場所に、絶妙なスピードで出してくれます。
フォワードは「ごちそうさまです」としか言えないぐらいの「至高」のパスです。
まさに【デ・ラ・ペーニャ】の存在はは「インサイドキックの魔術師」と言わんばかりです。
ただし、独特のプレースタイルが監督に重用されるかは別の話です。
【デ・ラ・ペーニャ】のスペイン代表としての出場数は、能力と反比例して5試合しかありません。
Embed from Getty Imagesロナウドの覚醒
【デ・ラ・ペーニャ】はブラジルの怪物【ロナウド】の覚醒にからんでいると睨んでいます。
【ロナウド】はPSVからバルセロナへ1996年に移籍します。
テクニックとスピードが融合した全盛期の【ロナウド】はこの年です。
戦術【ロナウド】を活かすも殺すも周り次第ですが、【デ・ラ・ペーニャ】のパスが【ロナウド】のスピードを最大限いかします。
【ロナウド】のスピードは当時異次元で、パスの出し手も合わせるのが至難の技でした。
足元にもスペースにも的確に鋭いパスを出せる【デ・ラ・ペーニャ】は相性バッチリです。
【ロナウド】はこう思ってたかも知れません。
「俺のスピードについてこれるやつがやっとあらわれたか」
【デ・ラ・ペーニャ】が【ロナウド】の能力値のストッパーを外したとも言えます。
ブラジル代表の錚々たる選手でもこじ開けられなかった偉業を【デ・ラ・ペーニャ】がはたしたのではないかと今でも思います。
このコンビは1シーズン限定なら最強まであります。
しかし、【デ・ラ・ペーニャ】側から見ると悲劇でもありました。
最高のフォワードを基準としたパスは、他の選手には合わない可能性が高いからです。
「あいつならなんなく追いつけたのに」
と【デ・ラ・ペーニャ】が思っていたかは不明ですが、パスのコンパス精度を狂わせたのはあると思います。
Embed from Getty Imagesエスパニョールでの復活劇
【デ・ラ・ペーニャ】はバルセロナと同じカタルーニャの街にある「エスパニョール」に紆余曲折の末に移籍します。2002年のことです。
今ではバルセロナが圧倒的にネームバリューがありますが、昔はエスパニョールのほうが人気があったとかなかったとか。
そして【デ・ラ・ペーニャ】は目に見える形で復活します。
2003-04年シーズンでアシストランキングTOPになります。
パサーとして最高の栄誉です。
くしくも、その年のゴールランキングTOPは、かつての盟友【ロナウド】です。
ちなみに、【中村俊輔】選手がスペイン挑戦した時のチームは【デ・ラ・ペーニャ】がいた時代でした。
ファンタジスタの共演は短かった記憶があります。
Embed from Getty ImagesEmbed from Getty Imagesまとめ
いかがでしたでしょうか。
【デ・ラ・ペーニャ】は「インサイドキック」ひとつで見るものすべてを魅了する選手でした。
ひょっとしたら今では絶滅危惧種かも知れません。
【デ・ラ・ペーニャ】の存在は、ひとつの武器を丹念に磨き上げれば、極上の武器になることを示したのではないでしょうか。
【デ・ラ・ペーニャ】はリトルブッダと呼ばれていますが、ことインサイドキックに関してはこうつぶやいたかも知れません。
「天上天下唯我独尊」
お釈迦様(ブッダ)の言葉で、「宇宙の中で私より尊いものはいない」という意味です。
【デ・ラ・ペーニャ】に置き換えると「サッカー界の中で私よりインサイドキックが優れたものはいない」となるでしょう。
【デ・ラ・ペーニャ】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回はブラジルの【ジョルジーニョ】です。
お楽しみにしてください、またね。
Embed from Getty Imagesここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
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