どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手はアルゼンチンの【ガブリエル・バティストゥータ】です。
Embed from Getty Images「バティストゥータはどんな選手?」
「バティストゥータのエピソード教えて!」
と思っていただいたあなたへお届けします。
ちょいちょいぼくのエピソードも混じっていますが、お付き合いいただければ幸いです。
いきなりですが【バティストゥータ】にキャッチフレーズをつけます。
問答無用のストライカー
「点を奪えないフォワードはただのフォワードだ」
なぜこのキャッチフレーズをつけたのか【ガブリエル・バティストゥータ】のすごいぞポイント3つを軸に語っていきますので、しばしお付き合いください。
- プレースタイル「バティゴール」
- ルイ・コスタとのコンビ
- 日本代表を沈める一撃
選手プロフィール
- 名前:ガブリエル・バティストゥータ
- 国籍:アルゼンチン
- 生年月日:1969年2月1日
- 身長・体重:185cm73kg
- 利き足:右足
- ポジション:FW(フォワード)
- 主な所属チーム:フィオレンティーナ、ローマ
- 代表歴:77試合(54得点)
- ワールドカップ出場:1994年、1998年、2002年
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1988-1989 | ニューウェルズ | 16 | (4) |
1989-1990 | リーベル・プレート | 7 | (4) |
1990-1991 | ボカ・ジュニアーズ | 29 | (13) |
1991-2000 | フィオレンティーナ | 269 | (168) |
2000-2003 | ローマ | 63 | (30) |
2003 | → インテル (loan) | 12 | (2) |
2003-2005 | アル・アラビ | 21 | (25) |
通算 | 386 | (246) |
【ガブリエル・バティストゥータ】の能力を表すパラメータがこちらです。
- オフェンス:19
- ディフェンス:5
- テクニック:13
- パワー:20
- スピード:13
- スタミナ:11
- 総合力:81
出典: WORLD CLUB Champion Football セガ
出会い
【ガブリエル・バティストゥータ】との出会いは本格的にワールドカップを見始めた1994年アメリカワールドカップです。
スピードの【カニーヒア】に対してパワーの【バティストゥータ】。
まさに柔と剛の組み合わせ。
【バルボ】をあわせた3トップを操る【マラドーナ】、【レドンド】を含むアルゼンチンは優勝候補の一角でした。
残念ながら、【マラドーナ】が途中離脱してしまい、ベスト16で敗退しましたが「もし【マラドーナ】が離脱していなかったら?」を思わせるチームでした。
【レドンド】に興味のある皆さまは下記記事をご覧ください。
Embed from Getty Imagesすごいぞポイント3つ
プレースタイル「バティゴール」
【ガブリエル・バティストゥータ】のプレースタイルの特徴として「豪快なシュート」は外せません。
逆に豪快なシュートが「バティゴール」と呼ばれるようになりました。
1990年代はイタリアのプロリーグ「セリエA」が世界最強リーグとされており、おりしも【カズ】こと【三浦知良】が日本人初挑戦したのが1994年です。
そんな中、フジテレビで「セリエAダイジェスト」が始まりました。
トヨタカップなど単発的に世界のサッカーに触れることはありましたが、毎週世界のサッカーに触れることができ、日本中のサッカーを見る目が養われたと思います。
そして、1994−95年シーズンに【バティストゥータ】は得点王を取っています。
ダイジェストは得点シーンがメインのため、【バティストゥータ】が取り上げられる回数が多いのは必然です。
ゴールネットを突き破らんばかりのシュートは、ディフェンダーの立場になったらと思うとゾッとした記憶が蘇ります。
右の【バティストゥータ】と左の【ロベルト・カルロス】はいまだにパワーシュートの双璧です。
【ロベルト・カルロス】に興味のある皆さまは下記記事をご覧ください。
Embed from Getty Imagesルイ・コスタとのコンビ
【ガブリエル・バティストゥータ】の相棒といえば【ルイ・コスタ】です。
長きに渡りフィオレンティーナでコンビを組み、【バティストゥータ】の得点のほとんどは【ルイ・コスタ】からのパスです。
キャプテン翼世代の僕は、真っ先に「バティストゥータ=日向くん、ルイ・コスタ=翼くん」を想起します。
このコンビがイタリアリーグの優勝チームの称号「スクデット」に一番近づいたのが1998-99年シーズンです。
しかし、チームメイトの「ブラジルの怪人【エジムンド】」によって遠ざかります。
【エジムンド】は優勝争いのまっただなか、なんと「リオのカーニバル」を理由にブラジルに帰国し、重要な試合を欠場します。
運悪く【バティストゥータ】も同時期に怪我で欠場し、千載一遇の「スクデット」のチャンスを逃します。
2000年にコンビは解消となりますが、【バティストゥータ】は2000ー01年にローマで、【ルイ・コスタ】は2003-04年にACミランで「スクデット」を獲得しました。
Embed from Getty Images日本代表を沈めた一撃
【ガブリエル・バティストゥータ】は日本代表のワールドカップ初出場に因縁浅からぬ選手です。
1998年フランスワールドカップは、日本が歴史上初めて参加したワールドカップです。
初戦の相手は強豪アルゼンチン。
セリエAダイジェストやチャンピオンズリーグがテレビで見れるようになり、ほんとうの意味でアルゼンチンの強さを選手はもちろん、視聴者も事前に知っている状態です。
一方で強豪チームは優勝を見据え、「ピークは初戦ではなく決勝トーナメント以降」にもっていくため、万が一のチャンスがあるのも初戦です。
1990年にカメルーンが1986年優勝国のアルゼンチンに勝ったように。
しかし、世界は甘くないことを【バティストゥータ】に教えられます。
しかも、代名詞となる「バティゴール」ではなく、技術が光るシュートでした。
いざとなれば、「こんな引き出しも実はあるよ」と言わんばかりに飛び出してきた【川口能活】の鼻先でちょこんと浮かす「ショートループシュート」を決められます。
結果は1対0と接戦に見えますが、世界の壁を思い知らされました。
本当のストライカーは「大事なところで点を決める」ということを痛感した瞬間でした。
そして、日本代表にもいつか【バティストゥータ】のようなストライカーがあらわれてほしいと願った瞬間でもありました。
まだかなっていない願いです。
Embed from Getty Imagesまとめ
いかがでしたでしょうか。
【ガブリエル・バティストゥータ】は決めるときに決めてくれるストライカーです。
ストライカー=点を取る選手であれば、【バティストゥータ】こそ「問答無用のストライカー」です。
ちなみに、問答無用は「もはや議論する必要のないこと」という意味です。
日本では、「守備に貢献している」「ポストプレーで攻撃の起点となっている」ということで点が取れないストライカーを擁護することがよくあります。
もちろん、その意見を否定する事はありませんが、「ストライカー」ではなくただのフォワードです。
紅の豚の名シーンを引用させてもらいますが、「ゴールを奪えないフォワードはただのフォワードだ」。
【ガブリエル・バティストゥータ】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【フランク・デ・ブール】です。
Embed from Getty Imagesお楽しみにしてください、またね。
ここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
サッカーをプレーする皆様はこちら
サッカーを指導する皆様はこちら
サッカーの戦術マニアはこちら
世界のサッカー小僧のバイブル
ファンタジスタの見える景色を知る漫画
生きる道を模索する青春漫画
監督視点の漫画と思いきや選手の成長漫画
プロを目指す選手のもがき苦しみつつも楽しむ様子を描いた漫画
ストライカー育成漫画
コメント