どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する好きなサッカー選手はイタリアの【ロベルト・バッジョ】です。
いきなりですが【バッジョ】にキャッチフレーズをつけます。
ミスターファンタジスタ
なぜこのキャッチフレーズをつけたのか【バッジョ】のすごいぞポイント3つを軸に語っていきますので、しばしお付き合いください。
- ファンタジスタ
- 悲劇の英雄
- 恩師との出会い
選手プロフィール
- 名前:ロベルト・バッジョ
- 国籍:イタリア
- 生年月日:1967年2月18日
- 身長・体重:174cm73kg
- 利き足:右足
- ポジション:FW(フォワード)、MF(ミッドフィルダー)
- 主な所属チーム:フィオレンティーナ、ユベントス、ブレシア
- 代表歴:56試合(27得点)
- ワールドカップ出場:1990年、1994年、1998年
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
---|---|---|---|
1982-1985 | ヴィチェンツァ | 36 | (13) |
1985-1990 | ACFフィオレンティーナ | 94 | (39) |
1990-1995 | ユヴェントス | 141 | (78) |
1995-1997 | ACミラン | 51 | (12) |
1997-1998 | ボローニャFC | 30 | (22) |
1998-2000 | インテル・ミラノ | 41 | (9) |
2000-2004 | ブレシア | 95 | (45) |
通算 | 490 | (220) |
【ロベルト・バッジョ】の能力を表すパラメータがこちらです。
- オフェンス:18
- ディフェンス:4
- テクニック:20
- パワー:11
- スピード:14
- スタミナ:10
- 総合力:77
出典: WORLD CLUB Champion Football セガ
出会い
【ロベルト・バッジョ】との出会いは、1994年アメリカワールドカップです。
予選リーグでの大苦戦から決勝までのストーリーはまるで一本の映画を見るようでした。
脚本家がいるのであれば、エンディングには賛否あるかも知れませんが、「【バッジョ】の大会」と言っても過言ではありません。
すごいぞポイント3つ
ファンタジスタ
【ロベルト・バッジョ】のプレースタイルといえば、「ファンタジスタ」一択です。
そもそも「ファンタジスタ」という言葉自体を、日本に広めたのが【バッジョ】です。
「ファンタジスタ」とは類まれな技術を持った上で、常人ではできないプレーや思いつかないプレーを、その瞬間瞬間に即座に見せるサッカー選手です。
【バッジョ】のプレースタイルになぞらえると、下記になります。
- スキーのスラロームのようなドリブル
- 柔らかいボールタッチ
- 角度がないところからのシュート
ドリブルは相手が抜かれまいと必死なのですが、【バッジョ】は相手をすいすい抜いていくので相手は止まっているようにさえ見えます。
そして、ゴールキーパーも時にはドリブルで抜いて、角度のないところからいとも簡単に【バッジョ】はボールをゴールに流し込みます。
全盛期の【バッジョ】のポニーテールの髪をなびかせる颯爽としたたたずまいは、カッコよさを引き立てます。
悲劇の英雄
【ロベルト・バッジョ】を語る上で1994年アメリカワールドカップの悲劇は外せません。
予選リーグの初戦を落とし、2戦目でゴールキーパーが退場になると、10人になったイタリアは【バッジョ】を交代し控えのゴールキーパーを投入しました。
ほとんどの皆様が「【バッジョ】のワールドカップ」は終了したと思いました。
ぼくも思いました。
ここで一つ目のドラマが起きます。
イタリア代表のもう一人の【バッジョ】の【ディノ・バッジョ】が決勝点を決めて、予選敗退の危機から首の皮一枚つながりました。
二つ目のドラマはベスト8をかけた決勝トーナメント1回戦です。
今度は1点を追う展開で途中出場の【ゾラ】が不可解の判定で退場となり、またしても絶体絶命の状況に追い込まれました。
ここで【バッジョ】が魅せます。
終了間際に同点ゴールと、延長戦での逆転ゴールを決めます。
その後は【バッジョ】の独壇場です。
準々決勝での角度のないところからの決勝ゴール、準決勝の2ゴールともに【バッジョ】が決めています。
そして、悲劇の英雄となる決勝戦です。
両チーム守備が踏ん張り0対0で、PK戦までもつれ込みます。
4人目までで3対2でブラジルチームがリードし、【バッジョ】が決めないと負けが確定する場面になります。
【バッジョ】が蹴ったボールは、太陽に吸い込まれるようにゴールの枠を外します
この時の【バッジョ】がボールを蹴った位置で立ち尽くす姿は今でも忘れません。
悲劇の英雄となった瞬間です。
補足:ワールドカップ優勝国の法則
1994年ワールドカップは始まる前からブラジルが優勝するのではないかとまことしやかにささやかれていました。
1982年のイタリア優勝を軸に、優勝国が一致するという法則です。
- 1962年:ブラジル
- 1966年:イングランド(初優勝)
- 1970年:ブラジル
- 1974年:西ドイツ
- 1978年:アルゼンチン
- 1982年:イタリア※基準軸
- 1986年:アルゼンチン
- 1990年:ドイツ
- 1994年:ブラジル
- 1998年:フランス(初優勝)
- 2002年:ブラジル
- 1978年、1986年がアルゼンチン優勝
- 1974年、1990年がドイツ優勝
- 1970年、1994年がブラジル優勝
- 1966年、1998年がイングランド、フランスが初優勝※法則継続
- 1962年、2002年がブラジル優勝
ここで法則が終了します。偶然ですが、5回続くと神のいたずらを感じます。
恩師との出会い
【ロベルト・バッジョ】はイタリアの3大ビッグクラブ(ユベントス、ACミラン、インテル)すべてに所属した数少ない選手です。
しかし、全盛期を過ぎた時に地方クラブの「ブレシア」に移籍します。
ここで恩師「カルロ・マッツォーネ」に出会います。
優勝を義務付けられた3大クラブのような過度なプレッシャーはなく、良い恩師に出会い自由で楽しいサッカーを【バッジョ】は魅せます。
この時の「ブレシア」には【バッジョ】以外に【ジョゼップ・グアルディオラ】や若き日の【アンドレア・ピルロ】もいました。
そこで古巣のユベントス相手にファンタジスタ【バッジョ】の「ファイナルファンタジー」が発動します。
時は2001年4月1日までさかのぼります。
1点を追う展開で後半40分【ピルロ】がセンターサークル付近から約40メートルのパスを【バッジョ】めがけて放たれました。
【バッジョ】目線では真後ろから自分の頭を超えてくるパスです。
ゴールキーパーはオランダ代表の【ファン・デル・サール】が待ち構えており、【バッジョ】はボールの放物線の軌道とゴールキーパーの位置を瞬時に判断します。
その直後、ダイレクトボレーのようなそぶりを見せつけながら、真後ろからきたボールを足の甲にひっかけて【ファン・デル・サール】を交わし、無人のゴールにシュートします。
その場所に、後のイタリア代表の中核となる【ピルロ】、戦術の針を10年早くまわすこととなる【グアルディオラ】を引き合わせたマッツォーネは【バッジョ】の偉大なる恩師です。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
【ロベルト・バッジョ】はイタリアの「長嶋茂雄」さんです。
記録より記憶に残る選手であり、国民に愛されています。
「Mrミスター」はイタリア語で「signoreシニョーレ」です。
以前【シニョーリ】についても語らせたいただき、プロ野球のレジェンド野村克也さんにたとえ「イタリアの月見草」と名付けました。
【バッジョ】と【シニョーリ】も長島さんと野村さんと同じく表裏一体だったのだと思います。
「ミスターファンタジスタ」【バッジョ】は永久に不滅です。
【バッジョ】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【エリック・カントナ】です。
お楽しみにしてください、またね。
ここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
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