どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手はフランスの【ミシェル・プラティニ】です。
Embed from Getty Images「 ミシェル・プラティニってウイイレ、イーフットボール、サカつくなどのサッカーゲームでレジェンド枠でよくでてくるけどどんな選手だったの?」
「ミシェル・プラティニの代表チームやクラブチームでの活躍を面白おかしく教えて!!」
と思ったあなたへお届けします。
この記事を読んでいただければ、【ミシェル・プラティニ】のプレースタイルを知ることが出来ます。
さらに代表チームとクラブチームそれぞれのパートに分けて活躍を知ることでファンになること間違いなしです。
選手プロフィールと下記3つを軸に語っていきますので、5分ほどお時間をください。
- プレースタイル
- フランス初のユーロ戴冠【代表チーム】
- ユベントスを世界一に導いた【クラブチーム】
四の五の言わずに実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。
プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。
選手プロフィール
- 名前:ミシェル・プラティニ
- 国籍:フランス
- 生年月日:1955年6月21日
- 身長・体重:178cm74kg
- 利き足:右足
- ポジション:ミッドフィルダー
- 代表歴:72試合(41得点)
- ワールドカップ出場:1978年、1982年、1986年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ミシェル・プラティニ
プレースタイル
Embed from Getty Images【ミシェル・プラティニ】のプレースタイルは「ファンタジスタ」です。
古典的な10番でありながらいざというときには点を取りに行くストライカーに変貌するタイプです。
日本になじみがある選手としては【ジーコ】に近いです。
トラップ、ドリブル、パス、シュート、フリーキックなど攻撃に関わるスキルはすべて高レベルで備えています。
意外なところとしてはゴール前のヘディングです。
勝負どころではパサーからストライカーに変身し、ゴール前まであがりヘディングゴールを決めます。
この特徴は同じフランスの将軍【ジネディーヌ・ジダン】に引き継がれ、ワールドカップ決勝で炸裂します。。
正直に言いますと、当時のプレーはテレビではほぼ見ることができず、トヨタカップで初めてみました。
華麗なプレーはいまでも脳裏に焼き付いています。
トヨタカップでのプレーについてはのちほど語ります。
【ジーコ】【ジダン】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
フランス初のユーロ戴冠【代表チーム】
フランスの夜明け1982年スペインワールドカップ
Embed from Getty Images【ミシェル・プラティニ】はフランス代表として3度ワールドカップに出場しています。
1982年のスペイン大会は、伝説の10番が多い大会です。
【ジーコ】【プラティニ】【マラドーナ】。
誰が戴冠するのか。
フランスはグループリーグは1勝1敗1分けでイングランドに続く2位で突破します。
当時は即決勝トーナメントではなく2次リーグが開催されていました。
2次リーグはオーストリア、北アイルランドに連勝し突破します。
ベスト4の相手はドイツです。
ジェフユナイテッド千葉でも活躍した【ピエール・リトバルスキー】に先制されますが、【プラティニ】のPKで同点に追いつきます。
1対1のまま延長戦に突入します。
フランスは延長前半に2点を決めます。
フランスにとっても【プラティニ】にとっても決勝の舞台が間近に見えてきました。
しかし、そこはドイツ。
ゲルマン魂であきらめないドイツは2点を決め、土壇場で追いつきPK戦にもつれこみます。
【プラティニ】は5人目で決めますが、6人目が外して敗退します。
ちなみに、このときのドイツの1人目が【カルツ】、5人目が【カール・ハインツ・ルンメニゲ】です。
この試合から、「高橋陽一先生」はインスピレーションをうけ、キャプテン翼のライバル選手が生まれます。
つまようじをくわえた「カルツ」。
当時の最大のライバル「カール・ハインツ・シュナイダー」。
話はそれましたが優勝は【ジーコ】のブラジル、【マラドーナ】のアルゼンチンを2次リーグで破り、決勝ではドイツを破ったイタリアです。
【リトバルスキー】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
全試合ゴールの偉業で優勝ユーロ1984
Embed from Getty Images【ミシェル・プラティニ】はワールドカップでは戴冠できませんでしたが、2年後にリベンジの機会が訪れます。
ユーロ1984です。
フランスは開催国で優勝候補の筆頭でした。
1983年にヨーロッパの最優秀選手の証であるバロンドールを受賞していた【プラティニ】が主役になると期待されていました。
【プラティニ】はグループリーグから躍動します。
初戦は弱冠20歳の【ミカエル・ラウドルップ】がいるデンマークです。
苦戦しながらも終了間際に【プラティニ】がゴールを決めます。
2戦目のベルギー戦でハットトリックを決めた【プラティニ】は3戦目のユーゴスラビア戦でもハットトリックを決めます。
ちなみにユーゴスラビアには名古屋グランパスにも所属した若き【ストイコビッチ】がいました。
グループリーグ3試合で7得点を決めた【プラティニ】はこれで打ち止めではなく、決勝トーナメントでも勢いは落ちません。
準決勝の相手はポルトガル。
フランスが先制しますがポルトガルが追いつき、1対1で延長戦にもつれ込みます。
延長の先制点はポルトガルです。
フランスにとっては2年前の1982年スペインワールドカップの悪夢が蘇ります。
しかし、フランスはあきらめません。
延長後半9分に追いつきます。
このままPK戦に行くかと思いきや【プラティニ】が決勝ゴールを終了間際に決め、初の決勝進出を果たします。
決勝のスペイン戦は【プラティニ】が先制ゴールを決め、全試合ゴールの偉業とともに優勝カップを手に入れます。
【ミカエル・ラウドルップ】【ストイコビッチ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
優勝にもう一歩1986年メキシコワールドカップ
Embed from Getty Images【ミシェル・プラティニ】はヨーロッパチャンピオンとして二度目のワールドカップに挑みます。
狙うは優勝のみです
不安は【プラティニ】の怪我ですが、グループリーグは2勝1分けで、ソ連に続く2位で突破します。
ちなみに1986年のバロンドールはソ連の【イーゴリ・ベラノフ】です。
正直に言いますと、この記事を書くまでこの選手の名前は初耳でした。
話を戻します。
決勝トーナメント1回戦は前回大会優勝のイタリアです。
【プラティニ】はイタリアのセリエAで活躍していたため、イタリアの選手の長所も短所も知り尽くしていました。
【プラティニ】のチップキックで先制し、2対0でフランスが勝利します。
準々決勝はブラジルです。
柏レイソルでも活躍した【カレカ】のゴールでブラジルが先制します。
黙っていないのが【プラティニ】です。
怪我をしている左足で同点ゴールを決めます。
その後は一進一退で延長戦でも決着がつかず、PK戦にゆだねられます。
前回大会はPK戦で大会を去っていますので、ある意味リベンジの機会です。
PK戦は名手でも外すことがままあります。
この試合でもブラジルでは【ソクラテス】、フランスでは【プラティニ】が外します。
【プラティニ】は外しましたがフランスの勝利です。
ちなみに【プラティニ】のPKはクロスバーの上に外れましたが、これはユベントスの10番の後輩である【ロベルト・バッジョ】が1994年ワールドカップで外した状況と似ています。
準決勝の相手は4年前と同じくドイツです。
【プラティニ】にとってもフランスにとってもリベンジの舞台は整いました。
試合は開始9分にドイツが先制します。
【プラティニ】は後半に同点ゴールを決めます。
しかし、これがオフサイドとなり幻のゴールになります。
【プラティニ】のワールドカップ優勝の道のりはここで終わります。
【ロベルト・バッジョ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
ユベントスを世界一に導いた【クラブチーム】
能力の覚醒をうながした【ASナンシー&サンテティエンヌ】
Embed from Getty Images【ミシェル・プラティニ】は「ASナンシー」でデビューします。
当時の「ASナンシー」はフランスで中堅チームでした。
【プラティニ】は加入2年目で二部リーグの降格も味わいます。
同じ境遇の選手として思い出されるのは【小野伸二】です。
【プラティニ】も【小野伸二】も他チームに移籍せず、試合に出場することと優勝争いをすることで能力が覚醒します。
【プラティニ】は二部リーグでフリーキックを中心に17ゴールを決め優勝に貢献し1年で一部リーグに復帰します。
一部リーグに昇格後も【プラティニ】の得点力は増していき、「ASナンシー」を去るまで4年連続二桁得点を決めます。
フランスカップの優勝にも貢献しました。
【プラティニ】の活躍を当時のフランスのトップクラブ「サンテティエンヌ」は見逃しません。
このチームで【プラティニ】は悲願のリーグ優勝を果たします。
得点能力も衰えず、中盤の選手でありながら在籍3年で145試合に出場し82得点を決めます。
そして当時世界最強リーグのほまれ高いセリエAに旅立ちます。
バロンドールを3度獲得した全盛期【ユベントス】
Embed from Getty Images【ミシェル・プラティニ】は「ユベントス」で全盛期を迎えます。
27歳で海外初挑戦なので、今の感覚では遅咲きのようにも見えます。
まだ外国人枠撤廃のもととなるボスマン判決前で、外国人枠の影響で相当の実力者でない限り、外国でプレーすることが難しい状況でした。
イタリアは1982年に外国人枠を一人から二人に拡大されたため、その枠で【プラティニ】を補強したことになります。
逆に言えば、外国人枠の拡大がなければ【プラティニ】が伝説になることはなかったのかもしれません。
本題に戻ります。
イタリアの名門ユベントスには1982年ワールドカップ優勝メンバーがそろっており、得点王の【パオロ・ロッシ】も所属していました。
猛者揃いのなかで【プラティニ】は中心選手となりタクトをふるいます。
加入初年度の1982-1983年シーズンはチャンピオンズカップで準優勝、国内リーグ2位と優勝まで一歩届きませんでしたが得点能力をいかし得点王となります。
しかもミッドフィルダーというポジションで。
1回目のバロンドールを獲得したのも1983年です。
加入2年目の1983-1984年シーズンは勢いを増します。
国内リーグ優勝、カップウィナーズカップ優勝、2年連続得点王。
さらにはフランスでユーロを制し、2年連続2回目のバロンドールを獲得します。
そして3年目の1984-1985年シーズン。
チャンピオンズカップ獲得に全力を注いだため、リーグ戦は5位に終わりますが、得点王は継続し3年連続受賞します。
繰り返しますが、ポジションはフォワードではなくミッドフィルダーです。
チャンピオンズカップは決勝までコマを進め「リヴァプール」と対決することとなります。
ヘイゼルの悲劇が起きたため、【プラティニ】のゴールでクラブチームでもヨーロッパチャンピオンになったにも関わらず、【プラティニ】にとって人生最悪の試合として刻まれてしまいました。
Embed from Getty Imagesこの優勝により日本で行われるトヨタカップに【プラティニ】が来ることとなります。
舞台は今はなき旧国立競技場。
試合はアルゼンチンの「アルヘンティノス・ジュニアーズ」が先制しますが、【プラティニ】が相手の逆をつくコロコロPKを決め同点に追いつきます。
そして伝説が生まれます。
コーナーキックのこぼれ球が【プラティニ】を胸でトラップし、そのまま右足でボレーシュートを打つかと思いきや、リフティングでキックフェイントをして左足方向に浮かせます。
ディフェンダー3人は置き去りにし、浮かしたボールを左足でダイレクトボレーシュートを打ちます。
ボールは美しい弾道でゴール右隅に吸い込まれます。
自分の記憶に残っている一番古いサッカーのゴールです。
今なお色褪せない記憶です。
しかし、このゴールはオフサイド判定で取り消されます。
【プラティニ】がひじついて寝そべっている姿も忘れません。
ちなみに今のルールではオフサイドポジションにいた選手はゴールに関与していないため、オフサイドで判定されていない可能性が高いです。
その後、相手に勝ち越しゴールを奪われましたが、【プラティニ】の絶妙なパスを【ミカエル・ラウドルップ】が決め同点に追いつきます。
延長でも決着がつかずPK戦でユベントスが優勝し、トヨタカップを制した【プラティニ】は当時は前人未到のバロンドール3連覇を獲得することとなります。
まとめ
Embed from Getty Imagesいかがでしたでしょうか。
【ミシェル・プラティニ】は代表チームでもクラブチームでもフランスの伝説となりました。
【プラティニ】が果たせなかったワールドカップチャンピオンは【ジダン】【エムバペ】が成し遂げ、フランスが名実ともにサッカー大国となりました。
特筆すべきは得点力です。
キャプテン翼の主人公「翼くん」がロベルト本郷からフォワードから点を取れるミッドフィルダーに転向するのを進めたのは、リアルタイムで高橋陽一先生が【プラティニ】や【ジーコ】を見ていたからかもしれません。
【久保建英】がバルサのカンテラ時代のように点を取りまくり、得点王になる未来を待ちます。
【ミシェル・プラティニ】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【フアン・ロマン・リケルメ】です。
Embed from Getty Imagesここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
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