どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手はブラジルの【ジーコ】です。
Embed from Getty ImagesJリーグ30周年の今こそその功績を語ります。
「 ジーコってウイイレ、イーフットボール、サカつくなどのサッカーゲームでレジェンド枠でよくでてくるけどどんな選手だったの?」
「ジーコの代表チームやクラブチームでの活躍を面白おかしく教えて!!」
と思ったあなたへお届けします。
この記事を読んでいただければ、【ジーコ】のプレースタイルを知ることが出来ます。
さらに代表チームとクラブチームそれぞれのパートに分けて活躍を知ることでファンになること間違いなしです。
選手プロフィールと下記3つを軸に語っていきますので、5分ほどお時間をください。
- プレースタイル
- 黄金の中盤(クワトロ・オーメン・ジ・オロ)【代表チーム】
- プロとはなんぞやを根付かせ常勝軍団の土台を作った【クラブチーム】
四の五の言わずに実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。
プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。
選手プロフィール
- 名前:ジーコ
- 国籍:ブラジル
- 生年月日:1953年3月3日
- 身長・体重:172cm72kg
- 利き足:右足
- ポジション:ミッドフィルダー
- 代表歴:71試合(48得点)
- ワールドカップ出場:1978年、1982年、1986年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ジーコ
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1971-1983 | CRフラメンゴ | 635 | (476) |
1983-1985 | ウディネーゼ | 53 | (30) |
1985-1989 | CRフラメンゴ | 97 | (33) |
1991-1994 | 住友金属 /鹿島アントラーズ | 64 | (48) |
プレースタイル
Embed from Getty Images【ジーコ】のプレースタイルを語る前に本名を紹介します。
ブラジル人あるあるとして本名が長い場合、あだ名がつけられます。
フラメンゴのユース時代、やせっぼちの意味から【ジーコ】と呼ばれていました。
【ジーコ】の本名は「アルトゥール・アントゥネス・コインブラ」です。
「コインブラ」と聞いてピンときた皆様は「キャプテン翼」世代です。
1990年に発売されたゲーム「キャプテン翼2」にドリブルスピードが異次元のキャラとしてブラジルチームに「コインブラ」が登場します。
「コインブラ」の本名が「アルトゥール・アントゥネス・コインブラ」で【ジーコ】と同姓同名ですので、【ジーコ】のオマージュに間違いありません。
本題の【ジーコの】プレースタイルですが、ずばり中学校以降の「翼くん」です。
むしろ翼くんのプレースタイルが【ジーコ】ともいえます。
小学校時代「翼くん」はフォワードでした。
師匠の「ロベルト本郷」からミッドフィルダーになり中盤を制し試合を制することとなります。
ブラジルの10番といえば【ペレ】もいますが「高橋陽一先生」が見始めたワールドカップの時期と整合すると【ジーコ】がモデルの一人とにらんでいます。
ミドルシュート、ロングシュート、フリーキック、味方を活かす長短のパス。
味方を鼓舞する統率力、逆境を跳ね返す精神力。
しかも負けず嫌い。
【ジーコ】が神様と呼ばれるのはプレーとキャプテンシーの両方でチームとサッカー界に影響を与え、熱狂の渦を作ったからだと思います。
ちなみに、本人は神様と呼ばれるのはあまり好きではないです。
黄金の中盤(クワトロ・オーメン・ジ・オロ)【代表チーム】
黄金の中盤で優勝候補として望んだ1982年スペインワールドカップ
Embed from Getty Images【ジーコ】といえば「黄金の中盤(クワトロ・オーメン・ジ・オロ)」というパワーワードははずせません。
ワールドカップで優勝していないチームで、今なお「ベストチームの一つ」と言われているのが1982年のブラジルです。
【ジーコ】を筆頭に【ソクラテス】【ファルカン】【トニーニョ・セレーゾ】の4人による創造性あふれるパスワークは見ているものを魅了します。
【ソクラテス】は1992年トヨタカップでMVPとなった【ライー】の兄として知りました。
【トニーニョ・セレーゾ】は1992年、1993年(MVP獲得)のトヨタカップ連覇で知りました。
のちに鹿島アントラーズの監督となります。
【ファルカン】は1994年に日本代表監督に就任して知りました。
若手発掘に尽力しましたが、結果が伴わずすぐ解任されました。
1991年に【ジーコ】が鹿島アントラーズの前身である「住友金属」に来たことで「カクテルパーティー効果」が発動し、ブラジル人サッカー選手のアンテナが高くなったのも影響しています。
話を戻します。
1982年ワールドカップの方式は特殊で後にも先にもこの1回のみでした。
まず参加国数24チームを4チームずつ6グループ(一次グループ)に分け、各グループの1位と2位が2次リーグに進出します。
次に12チームを3チームずつ4グループ(二次グループ)に分け、各グループの1位チームの4チームが決勝トーナメントに進出します。
ブラジルは優勝候補の前評判通り黄金の中盤が活躍し、一次リーグは3戦3勝で突破します。
ブラジルの得点数10得点のうち6点をフォワードではなく黄金の中盤が決めます。
【ジーコ】はそのうち3得点を決めています。
二次グループは「アルゼンチン」と「イタリア」と同じグループになります。
「アルゼンチン」は前回大会優勝チームでもあり若き【ディエゴ・マラドーナ】がいました。
しかし、10番の成熟さでは【ジーコ】が一枚上でした。
【ジーコ】の先制点を皮切りに3対0とリードし、終了間際にブラジルの激しいマークに激昂した【マラドーナ】が退場となります。
尚、その後アルゼンチンは1点返し、3対1とするのですが、点を決めたのがJリーグ初代得点王の【ラモン・ディアス】です。
次は大一番の「イタリア」戦です。
得失点差の関係でブラジルは引き分け以上、イタリアは勝ちのみが突破条件です。
下馬評ではブラジル有利でしたが一人のシンデレラボーイにより打ち砕かれます。
【パオロ・ロッシ】。
先制点を【ロッシ】が決め、【ソクラテス】のゴールで追いつきます。
もう一度【ロッシ】が決め、【ファルカン】のゴールで追いつきます。
三度目も【ロッシ】が決め、勝負あり。
【ジーコ】がワールドカップに届かなかった瞬間でもあります。
負けてなお、偉大なチームとしては1974年の【クライフ】中心のオランダに匹敵します。
黄金の中盤は【ジーコ】が日本代表の監督時代に再現をこころみます。
【中田英寿】【中村俊輔】【小野伸二】【稲本潤一】です。
結果は出ませんがワクワクしたのは事実です。
結果もワクワクもしたのがスペイン代表です。
【シャビ・エルナンデス】【アンドレアス・イニエスタ】【セスク・ファブレガス】【ダビド・シルバ】の4人を超えるカルテットは今後なかなか出ないでしょう。
【中田英寿】【中村俊輔】【シャビ】【ダビド・シルバ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
鹿島アントラーズの土台【クラブチーム】
【ジーコ】は生涯で3チームに所属しました。
ブラジルの「フラメンゴ」、イタリアの「ウディネーゼ」、日本の「鹿島アントラーズ」です。
いわゆる5大リーグのビッグクラブに所属していないのは七不思議の一つです。
他の6つは知らないけど。
トヨタカップを制した【フラメンゴ】
Embed from Getty Images【ジーコ】は「カリオカ」です。
「カリオカ」と言うと【ラモス瑠偉】のニックネームとして有名ですが、元の意味はポルトガル語の形容詞で「リオデジャネイロ」の住民や出身者を指します。
【ジーコ】は地元リオで14歳のときにフラメンゴのユースのテストに合格し入団します。
技術プラス細身の体を鍛え、ユースチームで116試合で81得点をあげ、18歳のときにトップチームに昇格します。
10年以上在籍しブラジルリーグで4度チャンピオンに輝きます。
さらに南米クラブチームナンバーワン決定戦のリベルタドーレスカップを、【ジーコ】の得点王になる活躍もあり1981年に制します。
勢いそのままに、1981年トヨタカップはヨーロッパチャンピオンの「リバプール」を倒して日本の地で優勝トロフィーをかかげます。
ちなみにMVPに輝いた【ジーコ】にスポンサーのトヨタから「セリカ」を贈呈され、40年以上も愛車として乗っている驚異的であり、義理堅さも感じるエピソードです。
日本と縁がある【ウディネーゼ】
Embed from Getty Images【ジーコ】は当時世界最強リーグと呼ばれていたイタリアセリエAの「ウディネーゼ」に移籍します。
ビッグクラブとは言えませんが何かと日本と縁のあるクラブチームです。
【ジーコ】は怪我の影響で【プラティニ】に1点及ばず得点王を取れませんでしたが、19点決めます。
Jリーグが開幕した1993年当時ヴェルディ川崎のサテライトリーグで活躍した【アモローゾ】が【ジーコ】と同じく、フラメンゴ経由でウディネーゼに1996年に移籍します。
そして1998−1999年シーズンに【ジーコ】や他のブラジル人の誰も成し遂げられなかった、セリエA得点王になります。
2023年現在もブラジル人でセリエA得手王の称号を手に入れたのは【アモローゾ】だけです。
【ジーコ】と同じく日本代表監督の「アルベルト・ザッケローニ」はウディネーゼの監督時代に名をあげています。
【アモローゾ】とも共闘しています。
プロとはなんぞやを根付かせ常勝軍団の土台を作った【鹿島アントラーズ】
Embed from Getty Images【ジーコ】について色々語ってきましたが、ここからがある意味本番です。
フラメンゴで一度引退した【ジーコ】は当時プロ化もされていない日本の二部のサッカーリーグの住友金属(のちの鹿島アントラーズ)に3年契約で入団します。
Jリーグは10チームで始まることが決まっており、鹿島アントラーズがJリーグ入りするかどうかもその時は分かりませんでした。
8チームは既存の一部サッカーリーグから決まり、残りの2枠を清水市民クラブ、ヤマハ発動機、ヤンマー、日立製作所、フジタ、住友金属の6クラブで争うこととなります。
企業より地域密着に理解を示していた「川淵三郎チェアマン」でしたが、住友金属は99.999%ないと言っていました。
ただし、日本に当時なかった観客席に屋根の付いた1万5000人収容のサッカー専用競技場が建設できるなら可能性はあります、とのこと。
【ジーコ】にオファーした時点で、進むしかない鹿島アントラーズは競技場を設置し、Jリーグ入りの最後の切符を手に入れます。
【ジーコ】が日本にきて、まずしたことは道具の大切さを浸透させることです。
サッカー選手の最大の道具はシューズです。
シューズをいいかげんに扱うのを嫌い、ロッカールームに汚れたシューズがほったらかしになっていたときは激怒しました。
選手個人個人が道具を大事に扱うことはもちろんですが、第三者として「ホペイロ」も導入しています。
ホペイロとはスパイクの手入れやユニホームの洗濯などをする用具係で、ブラジルでは当たり前の職業でした。
【ジーコ】は技術だけでなく環境から鹿島アントラーズを改革していきます。
もちろんインサイドキックや体の使い方一つとっても丁寧に教えます。
プロとはなんぞやの心構えも骨惜しみなく丁寧かつ情熱的に教えます。
【ジーコ】の技術面はJリーグ開幕戦のハットトリックにすべてが詰め込まれています。
ミドルシュートあり、フリーキックあり、ボレーシュートあり。
特にサイドからの【アルシンド】からのセンタリングからのボレーシュートはカメラアングルも含めて記憶にありありと残っています。
【ジーコ】の日本でのインパクトが残っているゴールはヒールループシュート(スコーピオンシュート)です。
体のやや後ろに来たボールを海老反り状態でかかとでループシュートを決めるという、筆舌に尽くしがたいことをいとも簡単に成し遂げるのが【ジーコ】です。
勝利の執念では「つば吐き事件」が有名です。
Jリーグ初年度のチャンピオンシップの試合で事件がおきます。
そもそも本来ファーストステージ優勝の鹿島アントラーズとセカンドステージ優勝のヴェルディ川崎のホームアンドアウェイで闘う事となっていましたが、両方ともにヴェルディ川崎のホーともいえる国立競技場で開催されました。
さらにレフリーはヴェルディ川崎の前身である読売クラブ出身でした。
なにもかもが初代王者をヴェルディ川崎にしたいように【ジーコ】の目にうつりました。
そんななかヴェルディ川崎にPKを与えたため【ジーコ】は抗議の意味も含め、問題提起としてボールにつばを吐きました。
行為だけを見ると、愚かな行為にみえますが、日本のサッカーを発展させるにはレフリー問題も含めダメなものはダメとの抗議をしたのだと思います。
まとめ
Embed from Getty Imagesいかがでしたでしょうか。
【ジーコ】は日本のJリーグ30年の礎になったのは間違いありません。
キャプテン翼で世界を知った子どもたちが、現実世界で【ジーコ】の薫陶を受けて世界と戦える土俵に立てるようになりました。
「翼くん」が目指している「ワールドカップ優勝」が現実になるのは近いかもしれません。
その決勝の相手が「ブラジル」であったなら「WBC決勝の大谷翔平対トラウト」を超える物語になるでしょう。
【ジーコ】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【ズラタン・イブラヒモヴィッチ】です。
Embed from Getty Imagesここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
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