どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手はブルガリアの【フリスト・ストイチコフ】です。
Embed from Getty Images「 フリスト・ストイチコフはどんな選手?」
「フリスト・ストイチコフのエピソード教えて!」
と思っていただいたあなたへお届けします。
ちょいちょいぼくのエピソードも混じっていますが、お付き合いいただければ幸いです。
いきなりですが【フリスト・ストイチコフ】にキャッチフレーズをつけます。
暴れん坊将軍
「悪童が改革する」
どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手はブルガリアの【フリスト・ストイチコフ】です。
Embed from Getty Images「 フリスト・ストイチコフはどんな選手?」
「フリスト・ストイチコフのエピソード教えて!」
と思っていただいたあなたへお届けします。
ちょいちょいぼくのエピソードも混じっていますが、お付き合いいただければ幸いです。
いきなりですが【フリスト・ストイチコフ】にキャッチフレーズをつけます。
暴れん坊将軍
「悪童が改革する」
なぜこのキャッチフレーズをつけたのか【フリスト・ストイチコフ】のすごいぞポイント3つを軸に語っていきますので、しばしお付き合いください。
いち早く実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。
プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1982-1984 | FCヘブロス | 32 | (14) |
1984-1990 | CSKAソフィア | 119 | (81) |
1990-1995 | FCバルセロナ | 151 | (76) |
1995-1996 | パルマAC | 23 | (5) |
1996-1998 | FCバルセロナ | 24 | (7) |
1998 | CSKAソフィア | 4 | (1) |
1998 | アル・ナスル | 2 | (1) |
1998-1999 | 柏レイソル | 27 | (12) |
2000-2002 | シカゴ・ファイアー | 51 | (17) |
2003 | D.C. ユナイテッド | 21 | (5) |
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』フリスト・ストイチコフ
【フリスト・ストイチコフ】との出会いは、日本がドーハの悲劇で出場できなかった1994年アメリカワールドカップにさかのぼります。
僕が初めて見たワールドカップは【ファウスティーノ・アスプリージャ】と【カルロス・バルデラマ】がいるコロンビアを応援していました。
応援度はコロンビアカラーのミサンガを作るほどでした。
そんな中、ワールドカップを初めて見た僕は【ストイチコフ】率いるブルガリアは全くノーマークでした。
しかし、快進撃をくりひろげていきます。
詳細は後ほど語ります。
【アスプリージャ】【バルデラマ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
Embed from Getty Images【フリスト・ストイチコフ】のプレースタイルは「ストライカー」です。
「ストライカー」としての能力はブルガリアのクラブチーム「CSKAソフィア」時代に芽吹きました。
強烈な左足のキックを武器にシュートを決めまくります。
119試合で81得点をあげる圧倒的な得点力は、国内リーグ優勝3回、国内カップ優勝4回に貢献します。
特筆すべきは1989-1990年シーズンです。
国内リーグで38得点をあげ得点王に輝くとともに、ヨーロッパリーグ全体で最も得点した選手に与えられる「ゴールデンブーツ賞」も受賞しています。
この実績がある人の目にとまります。
当時バルセロナを率いていた【ヨハン・クライフ】です。
バルセロナでの活躍については後ほど次項「バルセロナのドリームチームメンバー」で語ります。
余談ですが、【ストイチコフ】はブルガリアのクラブ時代に乱闘騒ぎをおこし一時「永久追放処分」となりました。
バルセロナ時代も、「エル・クラシコ」と呼ばれる「レアルマドリード」戦で退場処分を受け、報復行為で審判の足を踏むという行為で、長期の出場停止処分を受けています。
Embed from Getty Images【フリスト・ストイチコフ】はバルセロナで全盛期を謳歌します。
今も昔も「バルセロナ」は「レアルマドリード」と並ぶスペインの2大ビッグクラブであり、世界中にサポーターがいます。
【ストイチコフ】が所属していた当時は試合出場3名までの外国籍枠があったため、現代と比較しずらいですが、「ドリームチーム」と呼ばれていました。
【ストイチコフ】が加入した1990-1991年シーズンの外国籍枠は【ストイチコフ】【ミカエル・ラウドルップ】【ロナルド・クーマン】の3人です。
【クライフ】監督が貴重な外国籍枠一つを【ストイチコフ】に託した理由を語っています。
「我々のクラブにテクニシャンは大勢いるが、彼のような強い個性とアグレッシブさを持ち合わせる選手を必要としていた」
「CSKAでの彼はミッドフィールダーであり2列目から前線に飛び出して得点を狙うプレーを好んでいたが、バルセロナ移籍後は彼の素質を伸ばすように、左サイドのフォワードにコンバートしゴールに近い位置でプレーをさせ、それまでより短いスタンスでシュートを決めるように指導した。またCSKAではスター選手であり高慢な態度が目立っていたがバルセロナでは選手を特別扱いはしない。彼は短気な性格かつ頑固で自分のスタイルを守ろうとしたが、やがて私の教えに従った。」
— ヨハン・クライフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』フリスト・ストイチコフ
【ストイチコフ】は加入後、期待にこたえて得点を奪い続け、6年ぶりのリーグ優勝に貢献します。
そして、1991-1992年シーズンにさらなる転機を迎えます。
若き【ジョゼップ・グアルディオラ】の台頭です。
【グアルディオラ】はピッチ内の監督としてチームを支配し、【ストイチコフ】も例外ではありません。
のちにドリームチームと呼ばれる軍団は、チャンピオンズリーグ(当時はチャンピオンズカップ)で快進撃を続けて、「バルセロナ」を初優勝に導きます。
その後【ロマーリオ】が加わり「悪童コンビ」として名を馳せました。
【ミカエル・ラウドルップ】【グアルディオラ】【ロマーリオ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
Embed from Getty Images【フリスト・ストイチコフ】は小国のブルガリアをワールドカップベスト4に導きます。
グループリーグでは1勝1敗で迎えた最終戦でアルゼンチンと戦います。
【ディエゴ・マラドーナ】の復帰、影の司令塔【フェルナンド・レドンド】、【クラウディオ・カニーヒア】と【ガブリエル・バティストゥータ】の柔と剛の2トップと話題に尽きません。
【レドンド】【バティストゥータ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
アルゼンチンはすでにグループリーグ勝ち抜けを決めていましたが、思わぬ悪夢に見舞われます。
【マラドーナ】がドーピング検査により出場停止処分を受けます。
いずれにしても【ストイチコフ】率いるブルガリアは自力突破するためには勝つしかありませんので、アルゼンチンの都合は関係ありません。
そんな中、均衡を破ったのが【ストイチコフ】です。
その後、追加点をあげたブルガリアは2勝1敗でアルゼンチンにつぐ2位でグループリーグを突破します。
ベスト16では二刀流の【ホルヘ・カンポス】率いる「メキシコ」と戦います。
【ストイチコフ】が先制点をあげましたが、メキシコもすぐさま追いつきます。
そのご、PK合戦までもつれますが、なんとかブルガリア勝利します。
【カンポス】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
迎えたベスト8の相手は強豪「ドイツ」です。
当時のドイツは直近3大会すべて決勝に進んでおり、戦後の10大会中8大会でベスト4に入るいつの時代も優勝候補にあげられるチームです。
だれもが「ドイツが準決勝に勝ち上がるだろう」と思った所に落とし穴がありました。
まずはドイツが【ローター・マテウス】のPKで先制します。
【マテウス】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
強豪ドイツに先制され、勝つためには2点必要な状況に追い込まれていても【ストイチコフ】は全然あきらめていません。
迎えた後半30分、ゴールから約22メートル付近でフリーキックを獲得します。
蹴るのはもちろん【ストイチコフ】。
左足から繰り出されたボールはドイツの高い壁をこえ「ニアサイド」を打ち抜きます。
テレビの前で見ていた僕も唖然とした記憶があります。
そして3分後、ドイツにとっては悪夢、ブルガリアにとっては歓喜が訪れます。
【ヨルダン・レチコフ】のダイビングヘッドが炸裂し、2対1と勝ち越し準決勝に進出します。
準決勝の相手は【ロベルト・バッジョ】率いる「イタリア」です。
しりあがりに調子をあげていた「イタリア」はエース【ロベルト・バッジョ】が前半に2点決めます。
【ロベルト・バッジョ】に興味のある皆様は下記記事をご覧ください。
【ストイチコフ】も後半1点返しますが、ここでブルガリアの冒険は実質終わります。
3位決定戦は精根尽き果てていたのか「スウェーデン」に4対0で敗れました。
しかし【ストイチコフ】は6得点で大会得点王となり、1994年のバロンドール受賞者として歴史に名を残します。
Embed from Getty Imagesいかがでしたでしょうか。
【フリスト・ストイチコフ】は「しくじり」をおかしながらも、代表でもクラブでも活躍しました。
現代は、一度ミスすると社会から離脱するようにマスコミも世間も騒ぎます。
そんな社会では【ストイチコフ】は生まれなかったと思います。
「暴れん坊将軍」は改革して世を変えました。
【ストイチコフ】はブルガリアの「暴れん坊将軍」だったのかも知れません。
【フリスト・ストイチコフ】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回は【フェルナンド・トーレス】です。
お楽しみにしてください、またね。
Embed from Getty Imagesここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
サッカーをプレーする皆様はこちら
サッカーを指導する皆様はこちら
体の動かし方を理屈で理解したい皆様はこちら
しなやかな体を手に入れたい皆様はこちら
サッカーの戦術マニアはこちら
世界のサッカー小僧のバイブル
ファンタジスタの見える景色を知る漫画
生きる道を模索する青春漫画
監督視点の漫画と思いきや選手の成長漫画
プロを目指す選手のもがき苦しみつつも楽しむ様子を描いた漫画
ストライカー育成漫画
コメント