どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手はリベリアの【ジョージ・ウェア】です。
Embed from Getty Images「ジョージ・ウェアはどんな選手?」
「ジョージ・ウェアのエピソード教えて!」
と思っていただいたあなたへお届けします。
ちょいちょいぼくのエピソードも混じっていますが、お付き合いいただければ幸いです。
いきなりですが【ジョージ・ウェア】にキャッチフレーズをつけます。
暴走列車
「誰も止められない」
なぜこのキャッチフレーズをつけたのか【ジョージ・ウェア】のすごいぞポイント3つを軸に語っていきますので、しばしお付き合いください。
- プレースタイル「パーフェクトストライカー」
- アフリカ出身初にして唯一のバロンドール
- 能力覚醒「ベンゲル監督との出会い」
選手プロフィール
- 名前:ジョージ・ウェア
- 国籍:リベリア
- 生年月日:1966年10月1日
- 身長・体重:185cm82kg
- 利き足:右足
- ポジション:FW(フォワード)
- 主な所属チーム:モナコ、パリ・サンジェルマン、ACミラン
- 代表歴:75試合(18得点)
- ワールドカップ出場:無し
- 1985-1986マイティ・バロール : 10(7)
- 1986-1987インヴィンシブル・イレブン : 23(24)
- 1987アフリカ・スポール : 2(1)
- 1987-1988トネール・ヤウンデ : 18(14)
- 1988-1992モナコ : 103(47)
- 1992-1995パリ・サンジェルマン : 96(32)
- 1995-2000ACミラン 114(46)
- 2000チェルシー : 11(3)
- 2000→ マンチェスター・シティ (loan) : 7(1)
- 2000-2001マルセイユ : 19(5)
- 2001-2003アル・ジャジーラ : 8(13)
出会い
【ジョージ・ウェア】との出会いは1994年になります。
【ジョージ・ウェア】はパリ・サンジェルマンに所属しており、バイエルン・ミュンヘンを圧倒的な個人技で粉砕します。
当時のパリ・サンジェルマンは現在ほどの戦力は整っておらず、下馬評では圧倒的にバイエルン・ミュンヘンが優勢でした。
【ジョージ・ウェア】はバイエルンの選手をドリブルで次々とかわし、後に鹿島アントラーズに所属するブラジル代表【ジョルジーニョ】のスライディングタックルも軽やかにかわします。
最後は、鋭いターンから豪快なシュートを【オリバー・カーン】が守るゴールに突き刺しました。
アヤックスのサッカーに夢中になっていた時期に、違った意味で衝撃を受けました。
パリ・サンジェルマンは準決勝でACミランに敗れるのですが、【ジョージ・ウェア】はACミランのお目にかかり翌年ACミランに移籍します。
Embed from Getty Imagesすごいぞポイント3つ
プレースタイル「パーフェクトストライカー」
【ジョージ・ウェア】のプレースタイルはストライカーとしてすべての能力が完璧です。
ちなみに完璧の下の部分は「土」ではなく「玉」です。
完璧の意味は「傷のない完全な宝玉」となり、転じて「欠点や不足がまったくないこと」を言います。
【ジョージ・ウェア】のストライカーとしての能力、「スピード」「パワー」「テクニック」「フィジカル」すべてが満点です。
ゆえに完璧、「パーフェクトストライカー」と言わざるをえません。
【ジョージ・ウェア】はすべての能力を駆使し、「80m単独突破によるゴール」「一人スルーパス」「相手を弾き飛ばす強力なヘディング」など漫画の世界を現実にします。
嘘か真か「暴走列車」のように【ジョージ・ウェア】が走り出したら誰も止められません。
記事の最後にある動画をぜひご覧ください。
Embed from Getty Imagesアフリカ出身初にして唯一のバロンドール
【ジョージ・ウェア】はアフリカ人初のバロンドールを受賞しています。
「バロンドール」って何?
「バロンドール」は1956年に設立された「ヨーロッパ」年間最優秀選手へ贈られる賞です。
1994年まではヨーロッパ選手のみが受賞対象でしたが、1995年からヨーロッパのチーム(厳密にはUEFA加盟チーム)に所属していれば、受賞できることとなりました。
2007年から「世界」最優秀選手へ拡大されています。
そのタイミングで【ジョージ・ウェア】が受賞したのは運命だったのかも知れません。
しかし、その後アフリカ人でバロンドールを受賞した選手はいません。
受賞3位以内も一人もいない事実は【ジョージ・ウェア】の偉業をより輝かせます。
【モハメド・サラー】や【サディオ・マネ】がバロンドールを受賞するには、「さらに突き抜けた活躍をクラブチームでするか」「ワールドカップに出場して躍進するか」のどちらかでないと厳しいかも知れません。※2022年に【サディオ・マネ】が2位に食い込みます。
ちなみに【ジョージ・ウェア】がバロンドールを受賞した1995年はサッカー界にとって重要な年です。
ヨーロッパ連合(EU)に加盟する国の国籍を持つ選手は外国人枠から外される「ボスマン判決」が出されました。
【ディディエ・ドログバ】や【サミュエル・エトー】が二重国籍で活躍できたきっかけとなります。
Embed from Getty Images能力覚醒「ベンゲル監督との出会い」
【ジョージ・ウェア】のヨーロッパでのデビューチームは「モナコ」です。
ぼくのブログの読者で「勘がするどい」かたならお気づきかもしれません。
「アーセン・ベンゲル」監督が指揮していた「モナコ」です。
過去に紹介した【ティエリ・アンリ】や【リリアン・テュラム】も「モナコ」でベンゲル監督のもとデビューしています。
【アンリ】、【テュラム】に興味のある皆さまは下記記事をご覧ください。
ベンゲル監督の熱血かつ丁寧な指導が【ジョージ・ウェア】のポテンシャル「潜在能力」を引き出しました。
【ジョージ・ウェア】はベンゲル監督とともに「モナコ」をフランスカップやカップ戦のヨーロッパ中の王者が集まる「UEFAカップウィーナーズカップ決勝に導きます。
後にバロンドールを受賞した【ジョージ・ウェア】は恩師ベンゲル監督を壇上にあげ、感謝を伝えています。
ちなみに、ベンゲル監督は名古屋グランパスを指揮し【ドラガン・ストイコビッチ】を蘇らせて、後のグランパス優勝の礎「いしずえ」となっています。
Embed from Getty Imagesまとめ
いかがでしたでしょうか。
【ジョージ・ウェア】は唯一無二の選手です。
ひょっとしたら、現在のサッカーでは現れないかも知れません。
11対11のスポーツですが、根幹は1対1の積み重ねです。
漫画シュートの久保選手の名言が思い浮かびます。
「ボールを持ったら観客すべてが自分を見ていると思え!そして一歩でもボールをゴールへ近づけろ!」
【ジョージ・ウェア】はこの言葉は知らないと思いますが、愚直にやり続けたのかも知れません。
暴走列車のように走り続けた【ジョージ・ウェア】は止まることなく、相手をパニックにしたのかも知れません。
ちなみに息子の【ティモシー・ウェア】はアメリカ国籍で2022年カタールワールドカップに出場し、ウェールズ戦で得点を決めています。
【ジョージ・ウェア】自身はワールドカップに出場できなかったので、喜んでいると思います。
【ジョージ・ウェア】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【デビッド・ベッカム】です。
お楽しみにしてください、またね。
Embed from Getty Imagesここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
サッカーをプレーする皆様はこちら
サッカーを指導する皆様はこちら
サッカーの戦術マニアはこちら
世界のサッカー小僧のバイブル
ファンタジスタの見える景色を知る漫画
生きる道を模索する青春漫画
監督視点の漫画と思いきや選手の成長漫画
プロを目指す選手のもがき苦しみつつも楽しむ様子を描いた漫画
ストライカー育成漫画
コメント