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【ギド・ブッフバルト】マラドーナをおさえて世界一そして浦和レッズを世界の舞台へ【伝説サッカー選手紹介#113】

どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。

今回紹介する伝説のサッカー選手はドイツの【ギド・ブッフバルト】です。

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生徒
生徒

「 ギド・ブッフバルトってウイイレ、イーフットボール、サカつくなどのサッカーゲームでレジェンド枠でよくでてくるけどどんな選手だったの?」

「ギド・ブッフバルトの代表チームやクラブチームでの活躍を面白おかしく教えて!!」

と思ったあなたへお届けします。

この記事を読んでいただければ、【ギド・ブッフバルト】のプレースタイルを知ることが出来ます。

さらに代表チームとクラブチームそれぞれのパートに分けて活躍を知ることでファンになること間違いなしです。

選手プロフィールと下記3つを軸に語っていきますので、5分ほどお時間をください。

  1. プレースタイルと能力【パラメータ】
  2. マラドーナをマークしてイタリアワールドカップ優勝【代表チーム】
  3. お荷物チームの浦和レッズを選手として監督として世界の舞台へ【クラブチーム】

選手プロフィール

  • 名前:ギド・ブッフバルト
  • 国籍:ドイツ
  • 生年月日:1961年1月24日
  • 身長・体重:188cm88kg
  • 利き足:右足
  • ポジション:ディフェンダー
  • 代表歴:76試合(4得点)
  • ワールドカップ出場:1990年、1994年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ギド・ブッフバルト

年クラブ出場(得点)
1978-1983 シュトゥットガルト・キッカーズ146(18)
1983-1994 VfBシュトゥットガルト325(28)
1994-1997 浦和レッドダイヤモンズ127(11)
1997-1999 カールスルーエSC40(3)

プレースタイル

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【ギド・ブッフバルト】のプレースタイルはストッパータイプのセンターバックです。

屈強なフィジカルをいかし1対1にめっぽう強いです。

空中戦でも地上戦でもほぼ負けません。

そこに圧倒的な統率力も加わるので相手から見たらたじろぐしかありません。

ドイツ代表では5度のワールドカップ出場をしている闘将【ローター・マテウス】の影に隠れがちでした。

それでもユーロは3回出場し準優勝1回、ワールドカップは2回出場し1回優勝している実績は色あせることはありません。

マラドーナをマークしてイタリアワールドカップ優勝【代表チーム】

マラドーナを封じて優勝した1990年イタリアワールドカップ

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【ギド・ブッフバルト】はドイツ代表として2度ワールドカップに出場しています。

クライマックスは1990年イタリアワールドカップの決勝戦です。

1986年メキシコワールドカップと同じ組み合わせで「アルゼンチン対ドイツ」です。

前回大会優勝国でもありアルゼンチンの神【ディエゴ・マラドーナ】をどのようにおさえるかが試合のキーポイントでした。

1986年は【マテウス】が【マラドーナ】のマークをしましたが1990年は【ブッフバルト】がマークします。

ドイツ代表としては【マテウス】に守備と攻撃の自由を与えるほうが結果的にアルゼンチンに対して有利になるとふんだのだと思います。

【ブッフバルト】はその役割を忠実にこなし【マラドーナ】をほぼ完璧におさえて1対0の勝利に貢献します。

お荷物チームの浦和レッズを選手として監督として世界の舞台へ【クラブチーム】

加入1シーズン目でマイスターシャーレをかかげた【シュトゥットガルト】

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【ギド・ブッフバルト】は「シュトゥットガルトキッカーズ」でデビューします。

1983-1984年シーズンに「VfBシュトゥットガルト」へ移籍して、ブンデスリーガ1部デビューします。

「VfBシュトゥットガルト」は日本人にはなじみが深いクラブです。

【岡崎慎司】【酒井高徳】【遠藤航】【伊藤洋輝】【原口元気】などなど。

話は戻りますが、【ブッフバルト】は加入1シーズン目で主力となりクラブ史上初のブンデスリーガ優勝に貢献します。

尚、シュトゥットガルトは3回ブンデスリーガで優勝していますがそのうち2回は【ブッフバルト】が所属している時期です。

今も昔もバイエルン・ミュンヘンが別格で強い中、中堅クラブを優勝に導いたのは【ブッフバルト】の統率力も一役かっているとにらんでいます。

お荷物チームから常勝チームへ【浦和レッズ】

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【ギド・ブッフバルト】は1994年ワールドカップ後に浦和レッズに加入します。

ブラジル代表の1994年ワールドカップ優勝メンバーである【レオナルド】と同時期だったと記憶しています。

1990年ワールドカップ優勝メンバーで【ブッフバルト】のチームメートであった【リトバルスキー】が1年早くJリーグのジェフユナイテッド千葉でデビューしています。

【ブッフバルト】加入前の1993年の浦和レッズの成績は1stステージ、2ndステージともに10チーム中10位でした。

【ブッフバルト】加入1年目も、いきなりかわることはなく、1stステージは12チーム中12位、2ndステージは12チーム中11位でした。

当時はクラブ数を増やすため、降格はなくJ2から昇格のみある状態でしたので、J1で下位に沈んでも痛くも痒くもなかったのかもしれません。

しかし【ブッフバルト】の統率力をなめてはいけません。

鹿島アントラーズを【ジーコ】が変えたように浦和レッズを【ブッフバルト】が変えていきます。

攻撃のリーダーにはドーハの悲劇を経験した【福田正博】がいましたが、守備のリーダーが不在でした。

極論、サッカーは1点も取られなければ負けることはありません。

シュートを打たれなければ点を取られることもありません。

【ブッフバルト】は壁となり門番となりゴールを死守します。

さらにチームメイトも統率力で育てます。

筆頭が【山田暢久】ではないでしょうか。

【ブッフバルト】が加入した1994年に【山田暢久】は藤枝東から高卒で加入します。

いわば同期です。

【山田暢久】は加入当時は【福田正博】と2トップを組むフォワードでしたが、テクニックと運動量があるため、ミッドフィルダーやディフェンダーも高次元でこなします。

1995年浦和レッズは1stステージ3位と躍進したのは【ブッフバルト】【山田暢久】【福田正博】の縦の軸の安定と無関係ではないとにらんでいます。

ちなみに【山田暢久】も【福田正博】も浦和レッズ一筋で活躍したクラブを代表するバンディエラです。

【ブッフバルト】が選手として浦和レッズを去るときには、リーグのお荷物チームがリーグ中位まで力を伸ばしていました。

物語は続きます。

悲願のリーグ優勝【浦和レッズ監督時代】

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【ブッフバルト】は2004年に監督として浦和レッズに戻ってきます。

チームを2002年からテクニカルアドバイザーとしてみてきたため、いきなり結果を出します。

2ndステージで優勝し、浦和レッズ初のステージ優勝をはたします。

監督2年目はリーグ2位、天皇杯優勝でタイトルも獲得し、残すはリーグタイトルのみです。

勝負の監督3年目。

【田中マルクス闘莉王】【長谷部誠】【鈴木啓太】【山田暢久】【三都主アレサンドロ】【ポンテ】【ワシントン】などなどの選手もそろっていました。

リーグ最終戦まで首位の座をキープし2位のガンバ大阪との最終決戦を迎えます。

負ければガンバ大阪と勝ち点で並ぶため、3点差以上での負けの場合は得失点差でガンバ大阪が優勝となるシチュエーションです。

しびれる戦いは3対2で浦和レッズが制し、文句なしのリーグ初優勝です。

さらに天皇杯も連覇し【ブッフバルト】は去ります。

翌年、Jリーグチャンピオンとして望んだアジアチャンピオンズリーグで浦和レッズはアジアの頂点となり、世界クラブ選手権の切符を手に入れ3位になります。

【ブッフバルト】チルドレンが活躍したのはいうまでもありません。

まとめ

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いかがでしたでしょうか。

【ギド・ブッフバルト】は世界一を知るからこそ世界への道を知っていました。

日本サッカーが世界のサッカーに近づくにはまだまだ様々な経験が必要です。

ドイツブンデスリーガで活躍する日本人が多いのは【ブッフバルト】イズムが知らず知らずに根付いているのかもしれません。

スペインでは【久保建英】、イングランドでは【遠藤航】【三笘薫】が一流の道を進んでいます。

更にレベルアップして頂き、クラブレベル、代表レベルで世界一に立ち会う選手が出てくることを祈ります。

【ギド・ブッフバルト】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。

次回予告

次回は【パク・チソン】です。

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