どうも、サッカー大好きおっさんのじょのれんです。
今回紹介する伝説のサッカー選手はブラジルの【ジョルジーニョ】です。
Embed from Getty Images「 ジョルジーニョはどんな選手?」
「ジョルジーニョのエピソード教えて!」
と思っていただいたあなたへお届けします。
ちょいちょいぼくのエピソードも混じっていますが、お付き合いいただければ幸いです。
いきなりですが【ジョルジーニョ】にキャッチフレーズをつけます。
元祖偽サイドバック
「背番号2が似合う男」
なぜこのキャッチフレーズをつけたのか【ジョルジーニョ】のすごいぞポイント3つを軸に語っていきますので、しばしお付き合いください。
いち早く実際のプレー動画を見たい皆様はこちらからどうぞ。
プレーを見た後で良いので、記事を読んでいただければ幸いです。
- プレースタイル「守備力+テクニック」
- 現代サイドバックのお手本
- 鹿島アントラーズの礎
選手プロフィール
- 名前:ジョルジーニョ
- 国籍:ブラジル
- 生年月日:1964年8月17日
- 身長・体重:175cm69kg
- 利き足:右足
- ポジション:DF(ディフェンダー)、MF(ミッドフィルダー)
- 主な所属チーム:フラメンゴ、レバークーゼン、鹿島アントラーズ
- 代表歴:64試合(3得点)
- ワールドカップ出場:1990年、1994年
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1982-1984 | アメリカ-RJ | 20 | (0) |
1984-1989 | フラメンゴ | 188 | (7) |
1989-1992 | レバークーゼン | 87 | (9) |
1992-1995 | バイエルン・ミュンヘン | 67 | (6) |
1995-1998 | 鹿島アントラーズ | 103 | (18) |
1999 | サンパウロ | 13 | (1) |
2000-2001 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 28 | (2) |
2002 | フルミネンセ | 4 | (0) |
通算 | 510 | (42) |
出会い
【ジョルジーニョ】との出会いは1994年にさかのぼります。
日本が一歩及ばず、参加できなかった1994年アメリカワールドカップです。
当時のブラジル代表は、予選でブラジルの歴史上初めてボリビアに破れ、最終節でなんとか出場権を確保したため、優勝候補ではありませんでした。
そんななか、【ロマーリオ】【ベベット】の2トップと【レオナルド】【ジョルジーニョ】の両サイドバックのテクニックは「至高」でした。
【ロマーリオ】【レオナルド】に興味のある皆さまは下記記事をご覧ください。
そして、【ジョルジーニョ】はサッカーの神様【ペレ】時代以降取り逃していた「ワールドカップをブラジルに取り戻すこと」を果たしました。
中盤が守備的選手で構成できたのも、両サイドバックの攻撃力の信頼があったからだと思います。
Embed from Getty Imagesすごいぞポイント3つ
プレースタイル「守備力+テクニック」
【ジョルジーニョ】のプレースタイルは一口であらわせません。
ざっとあげます。
- 守備力
- テクニック
- スタミナ
- つるべの動き
【ジョルジーニョ】は守備力が一流でありながら、テクニックもあります。
タックル、パスカット、ドリブル、パスを高水準で実行します。
そして、スタミナも豊富なため試合終了まで集中力が途切れません。
さらに、サイドバックで重要な要素はチーム全体のバランスを考えることです。
右サイドバックの【ジョルジーニョ】の場合、左サイドバックの選手との呼吸を合わせることが大事です。
たとえとしてよく使われるのは「つるべの動き」です。
「右が攻めれば、左は守る。左が攻めれば、右は守る。」が基本となります。
【ジョルジーニョ】はその「塩梅(あんばい)」がとても優れています。
すぐれた戦術眼といってもよいです。
戦術眼と関係あるかはわかりませんが、温厚で礼儀正しい性格は「悪童【ロマーリオ】」をサポートできる数少ない人物としても知られます。
Embed from Getty Images現代サイドバックのお手本
【ジョルジーニョ】のプレースタイルを紐解いていくと現代サイドバックに求められている要素がふんだんに盛り込まれています。
お手本にすべきだと思います。
昔のサイドバックはピッチの両サイドを上下動するのが一般的でした。
ときおり、センターバックのカバーリングで横に動くぐらいです。
チェスの「ビショップ」の動きです。
しかし、【ジョルジーニョ】は違います。
テクニックと戦術眼がなせるわざなのか、ボランチの位置でパス回しの中心となることができます。
チェスの「クイーン」の動きです。
名将【ジョゼップ・グアルディオラ】監督がバイエルン・ミュンヘンを指揮した時代に「偽サイドバック」なる言葉が生まれました。
【ジョルジーニョ】はまさに偽サイドバックだったのかもしれません。
インテルの【ハビエル・サネッティ】も偽サイドバックだったのかもしれません。
【グアルディオラ】【サネッティ】に興味のある皆さまは下記記事をご覧ください。
Embed from Getty Images鹿島アントラーズの礎
【ジョルジーニョ】は1994年ワールドカップ優勝メンバーとして、ヨーロッパ屈指の強豪バイエルン・ミュンヘンから鹿島アントラーズに移籍します。
同じワールドカップ優勝メンバーの【レオナルド】の1年後の1995年です。
「偶然か必然か」日本が初めてワールドカップに出場した1998年フランスワールドカップの両サイドバックは、鹿島アントラーズの【名良橋晃】と【相馬直樹】です。
現役セレソンと一緒に練習を行い、プレーや考え方を吸収し、その場で実践できるのはどんな教科書よりも「骨身にしみた」と思います。
しかも、日本代表右サイドバックは、【名良橋晃】の後継者は、【内田篤人】であり、これまた鹿島アントラーズ育ちです。
同じ例がジュビロ磐田でもありました。
闘将【ドゥンガ】の影響で、中盤の選手が全員覚醒します。
特に【名波誠】を中心とした「N-BOX」は【ドゥンガ】の影響なくして成立しなかったとにらんでいます。
Embed from Getty Imagesまとめ
いかがでしたでしょうか。
【ジョルジーニョ】は現代のサイドバックに求められるものをすべて兼ね備えていていました。
まさに「元祖偽サイドバック」といっても過言ではありません。
さらに【ジョルジーニョ】の影響を受けた日本代表の右サイドバックの系譜は、【内田篤人】から【酒井宏樹】に引き継がれるのですが、物語は終わりません。
【酒井宏樹】を育てたのが、名将「ネルシーニョ監督」です。
なんと「ネルシーニョ監督」の現役時代のポジションは右サイドバックです。
系譜は脈々と受け継がれるものだと認識させられました。
そして今、【冨安健洋】をセンターバックかサイドバックで起用するか迷うところです。
参考ですが、【冨安健洋】をボローニャ時代に指導した監督は【ミハイロビッチ】です。
中盤の選手ですが、これまた名将「エリクソン」監督からディフェンダーにコンバートされています。
次世代の右サイドバックは「誰が誰の薫陶(くんとう)をうける」のか非常に興味深いです。
【ジョルジーニョ】の魅力がうまく語れたかはわかりませんが、なつかしさや興味がわいた皆様は、実際のプレーをみていただければ幸いです。
次回予告
次回は【ヌワンコ・カヌ】です。
お楽しみにしてください、またね。
Embed from Getty Imagesここまでお付き合いしてくださった皆様にサッカー本と漫画の紹介をします。
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