どーも、じょのれんです。
水曜・木曜・日曜の連載に続き、火曜日はふらりと立ち寄れる「サッカーコラム」の暖簾(のれん)を掲げることにしました。
テーマは現在・過去・未来、サッカーにまつわることなら何でもござれ。
ある時は骨太に深く掘り下げ、ある時はさらりと浅く流す。
普段のように頭を整理しきらず、脳内の思考をそのまま生中継することもあるでしょうし、ひょっとしたら2、3行のポエムで終わる日もあるかもしれません。
予測不能な火曜日。
今週のテーマはこちらです。
ぼくがサッカーを「サッカー」と認識した日
はじまり、はじまりぃ。
🕒 現在から過去へ:記憶の「逆年表」
出てくる出来事のすべてに、それぞれ1本の記事が書けるほどの熱い思い出があります。
語り出すと止まらなくなって本題から脱線してしまうので、個別の深掘りはまた別の機会に。
年号や順序を教科書通りに調べるのではなく、僕の頭の中に浮かぶ記憶のまま、時間をぐんぐん巻き戻しながら「あの日」を探してみようと思います。
記憶の巻き戻し、スタートです!
🔥 2010年代〜2000年代後半:歓喜と熱狂
2016年:レスター・シティの奇跡
岡崎慎司が泥臭く前線を走り回り、誰も予想しなかったプレミアリーグ優勝!
「日本人がプレミア初優勝!?稲本潤一もアーセナルにいたよな?」と記憶を巡らせましたが、実は2012-13シーズンの香川真司(マンU)に続く日本人2人目の快挙でした。
2014年&2012年:メガクラブに挑んだ日本人の背中
名門ACミランで伝統の背番号10を背負った本田圭佑。全世界注目の入団会見の「リトル・ホンダ」発言はらしさ全開で笑いました。
そして名将ファーガソン監督に引き抜かれ、マンチェスター・ユナイテッドの優勝メンバーとなった香川真司。カントナ、ギグス、ベッカムで熱狂したオールド・トラッフォード劇場に日本人がホームチームのメンバーで立ったのは感慨深いです。
2011年:なでしこジャパンW杯優勝
準々決勝ドイツ戦の丸山桂里奈の劇的な延長ゴール。決勝アメリカ戦でロベルト・マンチーニを彷彿とさせた澤穂希の起死回生の同点ボレー。そして最年少ラストキッカー・熊谷紗希の恐ろしいほどの肝の太さ。
世界一に輝いたあの朝はすべてが昨日のことのように覚えています。
2000年代中盤:ウイイレとWCCFに明け暮れた週末
アヤックスでスナイデルやファンデルファールトが活躍していたころ、週末になると友達の家に5人前後で集まり、朝までひたすらウイニングイレブンの対戦に明け暮れる日々。
さらにゲームセンターではカードゲームのWCCFに熱中。
ネットで知り合った仲間とアメトーークばりの「ドラフト会議」を開催。キーパーやストライカーが激戦区となる中、僕が自らに課した制約と誓約は「各国1名縛り×フォーメーション3-4-3」。
もちろん第一位指名は問答無用でセードルフ。
11人の指名後にコンセプトとフォーメーションを発表した瞬間、周囲の度肝を抜いたあの快感――そう、今このブログで書いている「妄想ベストイレブン」の原点は、すでに20年前に完成していたのです。
2006年:海外初のW杯生観戦(アルゼンチン対メキシコ)
ドイツのライプツィヒで目撃した生メッシ。そして目の前で炸裂したマキシ・ロドリゲスの伝説のスーパーボレー!
多分この時期にスカパー!に加入し、欧州チャンピオンズリーグをむさぼるように観始めました。
2002年:人生初のW杯生観戦(アルゼンチン対スウェーデン)
宮城スタジアムでの忘れもしない一戦(1-1引き分け)。
試合の内容以上に記憶に残っているのが、ベンチにいたカニーヒアが、ハーフタイムに主審への暴言で一発退場になった衝撃の光景。
若き日のイブラヒモヴィッチもいました。
🚪 2000年代前半〜1990年代後半:世界の扉
2001-2002年:小野伸二のUEFA杯優勝とアヤックスとの再会
小野伸二のエールディヴィジ(フェイエノールト)挑戦をきっかけにBS放送がスタート。ここでついに、運命のクラブ・アヤックスの試合を再び本格的に追いかけ始めます。
スナイデル、ファン・デル・ファールト、キヴ、イブラヒモヴィッチ、マクスウェルといった若き才能たちに一瞬で心を奪われました。
2000-2001年:中田英寿、ローマでスクデット獲得
天王山ユヴェントス戦で叩き込んだ値千金のミドルシュート!日本人初のセリエA優勝(スクデット)をたぐりよせたよっしゃー!の咆哮(ほうこう)は鳥肌が立ちました。
そして2000年アジアカップ決勝、名波浩の鮮烈なスーパーボレーで日本代表がサウジアラビアを1-0で破り、アジアを制覇した歓喜も忘れられません。
1999年:ワールドユース準優勝と黄金世代の躍動
小野伸二を筆頭とする「黄金世代」が世界を相手に躍動したナイジェリアの春。
漫画『キャプテン翼』の世界観がそのまま現実になったかのような、中田浩二、小野伸二、稲本潤一、本山雅志ら天才たちが同時に出現。小笠原満男や遠藤保仁も同世代。のちにジーコが黄金の中盤の夢を見るのはいたしかたなし。
1998年:フランスW杯の熱狂と敗戦
日本が世界の壁に挑み、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカを相手になすすべもなく3連敗。
大会直前のスイス合宿で発表された「カズ落選」のニュースは驚きとともに岡田武史監督の強い意志を感じました。
サカつくで例えて申し訳ないですが、ベテランの能力が下降していくと若手に切り替えざるを得ない局面が訪れます。今ほど登録枠が多くない時代、世界の壁を前に「守備に重きを置かざるを得ない」という実力差を思えば、あの非情な決断も必然だったのかもしれません。
1997年:ジョホールバルの歓喜
マレーシアで行われたアジア第3代表決定戦。
野人・岡野雅行の延長Vゴールで難敵イランを3-2で下し、日本が悲願のワールドカップ初出場をもぎ取った歴史的な夜。テレビの前で友達と一緒に狂喜乱舞しました。「やっと決めたよ岡野」とつぶやいたのは言うまでもありません。
1996年:初代『サカつく』とマイアミの奇跡
アトランタ五輪でブラジルを1-0で破った「マイアミの奇跡」の年。家庭用ゲーム機(セガサターン)では初代『プロサッカークラブをつくろう!』にドハマりしました。
前園、小倉、城が若手有望株として登場し、練習メニューからスカウト、試合の采配まで朝まで熱中。フォーメーションはもちろん「3-4-3一択」、海外枠にはアヤックスの選手たちを買い集めるのがお決まりでした。
📺 1990年代前半:Jリーグ開幕とアヤックス愛
1995年:アヤックスCL制覇と「一生の推し」決定
前年の予選でミランを破った若きアヤックスが、5月の決勝でも百戦錬磨のミランを1-0で返り討ち。
ライカールトを除けば、セードルフ、クライファート、カヌなど18歳前後の若者ばかり。「このチームは本物だ……!」と雷に打たれ、「アヤックスを一生の推しクラブにする」ことが決定づけられた瞬間でした。倉敷保雄さんの実況や杉山茂樹さんの解説からにじみ出るオランダ愛にも深く影響を受けました。
1994年秋:カズのセリエA挑戦と、アヤックスとの遭遇
カズが単身イタリアへ渡り、開幕戦でバレージに鼻を折られた世界の衝撃。
バッジョを筆頭にワールドカップで活躍した選手やカズを追って友達の家でWOWOWのセリエA中継を毎週見るようになり、台頭してきたデル・ピエロに出会います。そしてCL予選、イタリア最強と信じていたミランを子ども扱いして撃破したアヤックスの快進撃を目の当たりにしました。
1994年夏:アメリカW杯と、初めて買ったサッカー雑誌
テレビ越しとはいえ、初めて本格的にがっつりと熱中したワールドカップ。
(当ブログで書いている「伝説選手解説」も、まさにこの1994年前後の選手たちが一番のコアになっています)
熱狂のあまり人生で初めて買ったサッカー雑誌が『サッカーグラフィック』。忘れもしない、その表紙を飾っていたのはイタリア代表のジュゼッペ・シニョーリでした。
1993年秋:ドーハの悲劇
アメリカW杯アジア最終予選、イラク戦のロスタイム。
テレビ画面の中で、あの同点ゴールが決まった瞬間だけが、まるでスローモーションのようにゆっくりと見えました。喜びから一瞬で地獄へ落とされ、テレビの前で言葉を失いました。正確に言うと、ピッチに倒れ込んだ中山雅史と同じで「まじで……?」と声が漏れました。
このとき突きつけられた「世界の壁」の分厚さを痛感したからこそ、世界のサッカーを知るために表紙がシニョーリの『サッカーグラフィック』を自ら手に取ることになります。
1993年春:Jリーグ開幕とケーブルテレビ
Jリーグ開幕戦で鮮烈なミドルシュートを決めたマイヤーは、奇しくもオランダ人でした。
のちにアヤックス好きになりオランダ代表も応援することになる。
この頃、家に引かれたケーブルテレビ(GAORA)でオランダリーグや南米サッカー、チャンピオンズリーグなどを放送していて、なんとなく海外サッカーの試合を目にするようになりました。
1992年:Jリーグ前哨戦のナビスコカップ
Jリーグ開幕の前年に行われたプレ大会。
鹿島アントラーズのジーコをはじめ、リネカーやリトバルスキーといった世界的スーパースターたちが次々と日本へやってくる時代が幕を開けました。
今でこそ「歴史的な大物レジェンドたち」だと骨身にしみて分かりますが、当時の僕はまだその凄さをなんとなくでしか理解していませんでした。
📖 1980年代:漫画の世界と記憶の最深部
『キャプテン翼』ジュニアユース編:漫画の世界で世界一
時期は正確に覚えていませんが、夢中になってページをめくった国際大会編。
現実の日本代表がまだワールドカップにすら出られない時代に、漫画の世界の中で日本がフランスや西ドイツを倒して世界一に輝く(ネタバレ注意!)。胸が熱くなる全盛期の熱狂でした。
『キャプテン翼』中学生編:南葛と東邦、奇跡の同時優勝
小学生編・中学生編のまさに日本編のピーク。
満身創痍の翼率いる南葛中と、日向小次郎率いる東邦学園。死闘の末に両校優勝という幕切れを迎えたとき、「漫画でこんな決着があるのか……!」と度肝を抜かれました。
1986年:メキシコW杯(当時は見ていない)
マラドーナの「神の手」と「5人抜き」。
のちに伝説選手解説などで語り尽くすことになる数々の名シーンですが、リアルタイムの当時はまったく見ていませんでした。後からの知識として脳内にインプットされた記憶です。
『キャプテン翼』との出会い:なぜか家にあった「2巻」
週刊少年ジャンプの連載ではなく、単行本のコミックスが最初でした。
しかも、なぜか家に1巻ではなく「2巻」だけがポツンとあったのです。
開いた瞬間に始まった、対抗戦での「南葛小・大空翼 vs 修哲小・若林源三」の初対決!ここからすべてが動き出しました。
漫画の原点:『Dr.スランプ』とジャンプ(ノーカン)
ジャンプという雑誌を初めて読んだころ、目当ては『Dr.スランプ』のアラレちゃんだけでした。
人生で初めて読んだ漫画は『Dr.スランプ』の1巻。そういえばアラレちゃんが自分の頭をサッカーボールのように蹴っ飛ばしている描写を鮮明に覚えています。ただ、これはサッカーという競技として認識していないのでノーカンです。
記憶の最果て:『トムとジェリー』(ノーカン)
人生で初めてテレビで観たアニメ。
ドタバタ劇の中で何かを蹴っ飛ばす描写くらいはあったはずですが、当然ながらサッカーの認識はないのでノーカンです。
これで、記憶を遡る過去への冒険はすべて終了です!
🏁 結び

僕がサッカーを単なる「ボール蹴り遊び」ではなく、世界中で愛されている最高にドラマチックなスポーツ「サッカー」として脳内でハッキリと認識した日。
その結論は―― 『キャプテン翼』の単行本第2巻を開いた日 でした。
家にポツンと置かれていたあの1冊から、僕のサッカー人生はすべて始まったのです。
あなたがサッカーを「サッカー」と認識した日は、いつ、どんな瞬間でしたか?
ぜひ、X(@jonorenjonoren)のポストのリプ欄で、あなたの「原点」を教えてください!
いかがでしたか。
ノンフィクションとしてもフィクションとして読んでもらっても良いです。
僕はいつも静かにニヤリと笑っています。



